【旅行記】2023年5月 ポーランド・プシェミシェル ウクライナ国境の街

ポーランド

メディカ滞在の後、すぐに同じく国境の街プシェミシェルへ移動。メディカからはバスで5ズヴォティ20分程で行けました。バスの停車場所が分からず、声をかけて下さったユニセフのボランティアの方の協力を得てなんとか乗車できました。なんの支援も必要ない奴に時間を割いて申し訳ない気持ちでした。どうやら、バス会社によって停車場所が異なるみたいですね。

この街の名をウクライナ情勢関連のニュースで耳にした方もいるのではないでしょうか。それもそのはず、ここプシェミシェルも侵攻当時は多くのウクライナからの避難民が殺到し、駅構内が祖国から逃れたウクライナ人でごった返した様子も度々テレビで報道されていましたね。あれから一年が経過した今、この街はどうなっているのでしょうか。メディカと同様に、今のプシェミシェルの様子を見てみようと思います。

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プシェミシェルの中心部分。ウクライナの国境近くの都市にも関わらず、他のポーランドの都市と変わらない雰囲気で多くの人で賑わっていました。

中心地の名物噴水。

なんと日本文化センターを発見!日本語を学べる唯一の場所として力強く宣伝しています。プシェミシェルで唯一、という意味なのかね。

プシェミシェルで今回訪問した場所の一つ、プシェミシェル国立博物館へ。非常に近代的な建物でそれなりにお金はかけている模様。

プシェミシェルで制作された歴代イコンの展示。かつてこの都市はキエフ・ルーシの領土の一つでルーシ系のペレムィシュル公国が統治していましたが、ポーランド王国やモンゴルの襲来で滅びます。しばらくはポーランド王国の支配が続きましたが、ルーシの長き支配の影響でウクライナ人としての民族意識が強く残り、彼らによる反乱や対立が相次いで起きたようです。正教会のイコンがここまで大量に残っているのも、こうしたルーシの支配による影響が大きいのかもしれません。

また、プシェミシェルはユダヤ人によるコミュニティも存在していたようです。この博物館ではユダヤ人との関係にまつわる展示も豊富にありました。現存する最古の資料は16世紀後半の模様。

ユダヤ教の墓石

羊皮紙で制作された律法。律法は旧約聖書の最後の五書の一つ、モーセの五書のことです。

19世紀当時のプシェミシェルの中心地。こうしてみると….

当時とほとんど変わらない姿を維持できていることに感動。この写真だけでは分からんかもですが、特にこの木の植え方とかほとんど当時と一緒で非常に驚きました。ポーランドに限らず、多くのヨーロッパの街並みは当時の景観を維持することに非常に力を入れているのが改めて実感。この部分は雑居ビルと電柱だらけでつまらない景観が増えた日本はぜひ見習ってほしい部分ですね。

プシェミシェルの名所の一つであるプシェミシェル大聖堂にも行ってきました。なぜかこの日は教会内部を見ることができませんでしたが、その代わり地下の博物館を見学しました。入場料は無料。入り口に座っているスタッフに「地下に行きたい」旨を伝えたらすぐ入れました。その地下博物館はなかなか興味深く見所はありました。

地下にはプシェミシェルの司教やその他著名人の墓があり、埋葬に関する展示や聖遺物、墓の記章などが展示されていました。

大聖堂の建設の過程。ここから見ると12世紀から存在していることが分かります。かなり歴史のある大聖堂ですね。初期はシンプルな外見ですが15世紀からゴシック様式、18世紀にバロック様式に再建されたようです。時代に合わせて再建を繰り返したようですね。

補佐司教であるフランシスコ・センベクの棺。

以下は聖ペテロやウルスラ、バレンタイン、ファウスティナなどの著名な殉教者たちの聖遺物です。このような聖なるものがババーンと公開されているのも本大聖堂の魅力の一つ。

聖遺物1。頭蓋骨と下はおそらく指?の骨?

聖遺物2。右下には籠に収まった頭蓋骨が顔を覗かせています。暗闇で目が合うとびっくりするわ。墓というよりは完全に聖遺物展示場みたいですね。

聖遺物3。各パーツの骨が乱雑に収められていました。聖遺物にしては扱いが雑じゃね?

ヨセフ・サデウス司教の棺。

大量の頭蓋骨の収容場所。まだ行ったことはないですが、チェコの骸骨礼拝堂を思い出す光景ですね。誰の骨でどの経緯で収容されたのか気になります。

地下に埋葬されている教区司教と補佐司教、司祭や信徒等の名前が記載されている石碑。

大聖堂の外観。こうしてみるとかなり大きい。本来なら時計塔の上まで登れるらしいですが、教会が閉まっていたので断念。

次はプシェミシルのカジミエシュ城へ。丘の上にあるロマネスク様式の城で11世紀にポーランド国王のボレスワフ1世クロブリによって建設。入場料は12ズロチ。非常に歴史があるのでさぞかし見所があるのだろうと思いましたが、内観は残念ながら非常にしょぼく、展示物もハリボテのようで見応えはありませんでした笑 しかも無関係な現代アートみたいな展示物まである有様。空き場所を有効活用、てか。

展示物は残念でしたが、展望台からの景色は最高でした。12ズロチはまるで景色を見るために払っているような感じでしたね。

まず最初は地下へ。薄暗く非常に不気味。

死刑執行人と思わしきハリボテ人形が出てきましたとさ。おそらく地下では悪人に対する拷問や処刑が行われたのでしょう。

ユダのゆりかごという拷問具。上のハーネスで吊り下げられ、鋭利でとんがったピラミット型の金属に肛門をブッさし、ぐるぐると回転していく拷問。この状態で数日間放置し、地獄の苦しみを味わいながら息絶えていく。想像しているだけで鳥肌が…怖 実はこの拷問方法は日本でもキリシタンに対して行われたとか。

見ての通り、皆さんご存知のギロチンですね。申し訳程度に血糊で再現されていますが実際の出血量はこんなもんじゃないと思う。

取調べ椅子。数百ほどのスパイクを設置し、さらに座面を高温に熱するために下にはストーブがついていました。被疑者は激痛と熱さに悶え苦しみながら審問を受けることになります。

この拷問道具の展示品も、当時被疑者に対する拷問が行われていたことを示すためなのかもしれませんが、もう少し生々しくするとかの工夫はしてほしかったと思いました。(何のリクエスト)

ポーランド国王カジミェシュ3世に関する資料や展示物。この国王は政治や外交、軍事において大きな成功を収めており、ポーランド王国の成長に貢献したことから「大王」とも呼ばれています。今でもポーランド人から尊敬の念を集めています。まあ通貨にも描かれているし。彼は13世紀にこの城をゴシック様式に建て替えをしています。それにしても、建設者は違うのに城名が「カジミェシュ」にされる理不尽さなんたるや….

カジミェシュ3世の王冠と杖。

展望台からプシェミシェルの街並みを一望。これだけは訪れる価値があると思いました。さらに奥はおそらくウクライナでしょう。見えんけど。

青空の下ではためくポーランド国旗。

展望台の道中で見た展示品。おそらく当時の内観を再現しているのでしょうが、それにしてもハリボテ感が….

カジミェシュ城、このラインナップで12ズロチは高すぎぜ。正直、訪れるべきかと言うとどちらでも良いって感じですね。行くかどうかはあなた次第です。

他都市と比べて観光地化が不十分なのか、ところどころ手入れが行き届いていない部分がありました。

河川もありました。日本にも似たような場所があるので親近感が湧きます。

プシェミシェル駅。ここは侵攻当時、大量のウクライナからの避難民が殺到した駅としてメディアを通じて知られるようになったことは記憶に新しいですね。内部の写真を撮りたかったのですが、多くの警備員がうろついていた上に撮影禁止の看板があったので残念ながら写真はありません。ですが、内部の様子ははっきりと鮮明に記憶に残っています。

私が訪れた時も避難民専用の休憩所はまだあり、多くのボランティアが働いていました。避難所には多くのベッドが並んでいました。また、避難民向けに水やカップスープ、パン、コーヒーを無料で提供している場面もありました。侵攻開始から一年以上が経過していたためさすがに避難民の数も減っていたのですが、それでも避難所には疲弊しきって横たわる避難民の姿はまだ見かけました。

「戦争はまだ終わっていない」その現実を目の当たりにした瞬間でした。そしてこの旅行記を書いている現在も、今だにロシアによる攻撃は続いています。いつになったら終わるのでしょうか。

プシェミシェル最終日。ポーランド最後の晩餐で食べたパスタ入りスープ。11ズロチ(約390円)

出発前のビール。

メディカ同様、行くかどうか迷ったプシェミシェル。実際に行ってみたら他のポーランドの街と変わらない光景がありました。そのような街の近くで戦争があることが信じられない気持ちですが、行ってよかったというのが正直な感想です。

今回の旅行記はここまで。ではまた。チャオ。