トンド訪問版は内容がかなりのボリュームになりそうなので前半、後半に分けて公開していく。
8月12日、ついにこの日がやってきた。以前から関心があったフィリピン最大のスラム街があるトンド地区に行くことになった。今回はツアーも予約していないので完全に一人。一瞬不安がよぎったがもう決めたことなので意を決してGrabで行き先をトンド地区に指定し、タクシーを手配した。
10分後、Grabタクシーが到着していよいよ出発した。運転手が「トンドでいいのだな?」と確認した。私の宿からトンド地区まで車で約40分ほど。ひたすら海沿いを走る。その間に心の準備をする。近づく度に周辺の雰囲気は一変し、水簿らしい建物が目立ち始める。そしてついにトンド地区に到着するも、運転手はなぜかコンテナ置き場らしき場所に車を止めようとする。私が「ここではない。ハッピーランドってあるだろ?そこの前に止めてくれ」といい、再出発。そして、「HAPPYLAND」と書かれた看板の目の前に止めてもらい、降りた。降りた瞬間、生ゴミと卵が腐った臭いが混じったような強烈な異臭が鼻を襲いかかった。
これがハッピーランドの入り口となる。「ハッピーランド」というと聞こえはいいが、英語の「HAPPY」ではなくタガログ語で「ハピラン」、つまり「ゴミ」という意味を持った言葉をもじった皮肉である。直訳すると「ゴミランド」である。あまりにも酷い名称だが、入り口に入る度にその言葉の本当の意味を理解した。散乱しているゴミがあまりにも多いからだ。写真には撮っていないがそのゴミを犬が漁ったり、スカベンジャー(拾ったゴミで金銭を稼ぐ人たち)たちがゴミを選別している様子もあった。マニラには数多くのスラム街が点在しているが、ここ「ハッピーランド」は特に貧困問題が顕著であり、今でも課題は山積みだ。
じゃあなぜ私がそんな場所に行こうと思ったのか。はっきり明記しておくが単なる興味本位でも冷やかすつもりでもない。フィリピンのこの問題は日本でもテレビ番組などのメディアで何度も取り上げれているため、知っている人も多い。だが、こうした類の番組ではスラムに住む住民たちを「かわいそうな人達」とし、いかに酷い生活を送っているか等同情を仰ぐような内容ばかりなのが事実。しかもどこまでが事実なのかも番組を見ただけでは分からない。そのメディアの報道に数年前から違和感を持っていた。「じゃあ実際に現地で行って確かめてみよう」と思い、今回の訪問を決意した。実はその計画は3年前にも考えていたものの勇気が出なかった。旅に慣れてきた今なら行けると思い、ようやく踏み出した。
この記事を通して今の状況を伝えるのが唯一私のできることだとなのでは思っている。まあ、この考え自体が傲慢の極みなんだけれども、そこはどうか大目に見ていただければと。事情があって写真は少なめなのでご容赦いただきたい。
入り口の中に進んでいく。まず最初に驚いたのは活気に満ちあふれていたこと。そして子供と若者が多い。また、いかにも無職そうなおっさんがでっぷり出ている腹を出して路上で寝ていた。住民の視線が痛かったが挨拶をしてくれる人も結構いた。
バスケットボールを楽しむ少年たち。フィリピンではバスケは人気のスポーツらしく、ここトンドでも至るところで試合をしていた。
さらに奥へと進んでいく。至る場所で大音量で音楽がかかって賑やかな家もあったり、楽しそうに談笑して洗濯や料理をしたりとそこに住む人々の生活が垣間見えた。住んでいる環境、経済力こそ大きく異なるが、日々の営みは我々と変わらない。家が密集している場所を抜け出すと、先程の活気が一変した。ゴミが散乱した雨でぬかるんでいる道路が現れ、コンテナが見えた。
閑散とした場所には複数の犬がうろつき、ゴミが積まれていた。そのゴミの中にはマクドやジョリビーなどのファストフードの飲み物やチキンジョイのカップも含まれていた。
積まれている大量のゴミ。かつてハッピーランドの近くにスモーキー・マウンテンというゴミ山が存在していた。人々はそのゴミ山で金になる宝を拾い、金銭を稼いでいた。政府によって廃止されてから20年以上経った今でも、大量のゴミの中での生活を強いられている人々がいるという事実は衝撃である。
さらに奥へ進もうとしたその時、一人の男に話しかけられた。
「おい、一人でその先に進むつもりか?」
やめとけ、と言わんばかりにその男性は忠告した。確かに治安が悪いとは聞くので彼の言うことは正論だろう。すると、彼は「近くに子供を支援している教会のコミュニティがある。この子に連れて行ってもらいな」と一人の少女に案内係をお願いし、私はその少女の言うことに従ってコミュニティがある場所に案内してもらった。彼女に付いて歩くと、薄暗い建物の中に入っていく。すると、迎えてくれたのは多くの子供たちとその関係者のスタッフだった。実はここはトンド地区にすむ子供たちを支援している団体兼教会だった。スタッフも突然訪れた私に対して歓迎してくれた。そのうちの一人である女性は、「スマートフォンなどの高価なものはカバンにしまいなさい。すぐに盗られてしまいますから。」と忠告してくれた。現地人がそこまでいうぐらいだから治安が悪いのは本当のようだ。
そしてスタッフの一人である男性が、外国人が一人でトンドを歩くのは危険だからと、案内してくれることになった。彼の名はブライアン。この日は一日お世話になることに。「トンド周辺をこれから案内するよ。でも住人を刺激するから写真は撮らないでね。」とブライアン。今回写真が少ないのはそのためである。彼の言う通り、安全のために撮影は自重した。
最初に連れて行ってもらったのはコミュニティの仲間である人たちの家。その中にいたのはジョンソンとその彼女であるラブリ、そしてその友人。「よく来たね!さあ靴を脱いで上がって」と彼らは歓迎をしてくれた。そしてしばらく一緒に雑談をした。家の中は非常に狭く、物が乱雑に積まれていた。非常に古いテレビでは官能ドラマが放送されていた。彼らとは、日本やフィリピンの文化や、トンドについての話をしただけでなく、簡単なタガログ語も教えてもらったりした。すると、ジョンソンが一枚の写真を見せ、「見て!ここに日本人が来たことあるんだ。彼はカメラマンでトンド地区の写真を撮りに来たんだ」と自慢げに言った。写真には日本人男性が写っていた。「そんな物好きがいたとはね…」と感心していたが自分も大概だった。
ブライアン達と写真撮影。プライバシーのため顔は隠している。
もう一つ、驚いたことは彼ら全員スマートフォンを持っていることだった。古めの機種ではあったがそれを使ってFacebookをやったり友達とのやり取りを楽しんでいる模様。写真には撮っていないがここトンドやアロマ地区でも至るところでインターネットカフェらしきお店を見かけたような気がする。
しばらく雑談をした後、ブライアンが「じゃあそろそろ行こうか」といって彼らと別れを告げ、二人で家を後にした。
外に出た後、私はブライアンにここトンド地区について色々と聞いてみた。
「日本ではテレビ番組がフィリピンのスラム街について特集する時はトンド地区を取り上げるが、最近の状況はどんな感じ?」と質問。すると彼は、「ここの住民が経済的に厳しいのは変わりない。でも今は少しずつ改善はされている。」とのこと。なぜかと聞いたら、支援団体による支援によるものだという。
さらに、私がかねて気になっていた「パグパグ」についても聞いてみた。一見可愛らしい響きのこの単語だが、実はゴミ袋から拾ってきた残飯から作られた料理のことを指す。パグパグはタガログ語で「振り落とす」という意味らしく、残飯から汚れを振り落とすという意味で誕生した模様。トンドには毎日のようにマニラ市内からゴミが届くらしい。食料が十分でないこの地域ではそのゴミ袋からマクドナルドやジョリビー、KFCといったファストフードのチキンなどの残飯を拾って洗い、塩などの調味料で味付けをして調理をする。その残飯を拾って売って生計を立てているスカベンジャー(ゴミから金目のモノを売って生活をしている人々のこと)もいるらしい。このトンド名物は時々屋台などで販売されるらしいが、今思うと外で売られていたなんだか美味しそうなお惣菜っぽいものはもしかしたら残飯から作られていたと思う。一度「ゴミ」として捨てられていた残飯を再利用して食べる、と一見聞くとにわかにも信じ難いが、飢えと隣り合わせの住民にとっては貴重でかつちょっとしたごちそうだという。食事でも社会の不平等が生まれている現実がここにあった。
今も存在しているのか、と質問するとブライアンは「あるといえばある。でも最近はNPO団体などの食糧支援のおかげで食べる人は減ってきてるよ。」とのこと。
さらに質問する。「ここの住民はこの生活についてどう思っているのか?」と聞くと、「彼らは確かに貧しいが、そのことで悲観する人はいない。みんな楽しく生活している。」という貧困地区で暮らす人達を紹介するときの典型的な答えが帰ってきた。確かに自身の状況を嘆いてばかりいても始まらないからね。でも同時に複雑なモヤッとした感情が湧いてきたのも事実である。正直これを聞いて安心して良いのか分からなかった。
NPO法人などの団体からの支援もあり、住民も楽しく今を生きている。現状維持でいいと思うのも無理はない。でも本当にそれでいいのだろうか。長年蔓延ったこの問題の根本的解決になるのだろうか。ここからは個人的な考えになるのだが、この生活からの脱却と社会問題の解決にはやはり住民自身の経済的な自立と考え方を変えることが重要だと思う。貧しいながらもその現状を受け入れ、笑顔で楽しく生活をしようというマインドは素晴らしいし、我々も見習う点ではある。だが、現状を変えようという気配が住民からは何も感じないというのが正直な感想。
支援団体側の支援のあり方にも問題があると思う。たしかに彼らの支援によって救われている人がいるのも事実だし、彼らの活動には非常に敬意を感じている。ダラダラと意味のない記事ばかり書いたりオタ活ばかりしている私なんかに比べたら色々と貢献しているし立派なのは間違いない。だが、その支援は「与える」ことばかりに注力しているように感じてしまった。結果としてそれに甘んじてしまい、自分たちでなんとか乗り越えようとしなくなって問題解決からはますます遠のいていく。これでは本当の意味で彼らを変えることを困難になっていくだろう。私の知らないところですでに実施をしていると思うが、支援として必要なのは与えるだけでなく彼らの経済的自立を促すための訓練、そしてそのための職業的スキルを身に付けることである。そうすれば最終的には貧困から抜け出すことができる、はず。誰かの記事で書いていたが、トンドのスラムに住んでいたある女性が家族を支えるためにKTV(フィリピンパブのこと)に出稼ぎに行き、人気No1になって大金を手にしてスラム生活から脱出したという壮大な例があったのを思い出した。やはり自分で道を切り開いて変えようという強い意識が重要なのだろう。この女性がはっきりと証明している。
話が長くなって申し訳ない。さすがに退屈になって来ると思うのでここで続きに戻ろう。
話をしていると、ブライアンが隣で遊んでいた子どもたちに話し掛けた。せっかくだから私もちょっと混じり、一緒にハイタッチをしたり飛び回ったりした。彼らの屈託のない笑顔は非常に魅力的だが、その足と腕を見ると全身が虫刺されのような傷口だらけで6、7歳ぐらいの子供の肌とは思えないレベルで酷かった。心が痛んだ。ゴミだらけの不衛生な環境に加えて病原菌を媒介する蚊などの虫も多いため、感染症のリスクも非常に高い。治安に加え、衛生面の危険と常に隣り合わせであるという現実があることも改めて痛感した。
ブライアンは「ここに長くいるのは危ないからちょっと移動しよう。次はアロマ地区だ。」といい、この場所を後にした。アロマ地区もトンドと同様、大規模なスラムが存在している。治安も非常に悪い。彼が次に連れて行ってくれたのは、体育館のような場所だった。
これもこの一枚しか撮ってなくて申し訳ない。ここにはバスケットゴールなどがあり、住民がスポーツを楽しんていた。また、ここは様々なコニュニティの活動場所にもなっているのだとか。
ここを後にした後、ブライアンに「次はどこ行きたい?」と聞かれたので、「スモーキー・マウンテン」と答えた。彼は「分かった。連れて行くよ。でもお腹空いているんじゃない?先にお昼ご飯を食べないか」とのことだったので、先に昼食を取ることにした。気がつけば正午を過ぎていた。
向かった先は、みんな大好きフィリピンのソウルフード、ジョリビー。実はフィリピンに来てからまだ一度も行ったことがなかったので楽しみだった。
おなじみの赤い蜂のキャラクターが笑顔でお出迎え。こいつ超人気者らしい。入り口に人形がある。店内は昼時なのか満席だったので相席をすることに。
名物のチキンジョイ+お決まりの白米とバナナケチャップで味付けをした激甘スパゲッティを注文。飲み物含めると約180ペソ、日本円で380円ぐらいかな。日本人からしたら破格の安さである。でも量はちょっと少ないなあ…チキンは結構美味しい。スパゲッティは上記の通りフィリピン人好みの甘い味付けで個人的にはあまり好きではないかな。ハバネロパウダーをかけたくなる。白米はゴムを噛んでるみたいで不味かった。チキンの隣りにあるのは肉汁から作られたオリジナルのグレービーソース。これもかなり好みが分かれる味だった。私は割と好き。安いし、フィリピン人好みの味がすべて凝縮されている感じだったから人気があるのも分かる。
続きの後半ではスモーキーマウンテンとイントラムロスプチ観光について書いていく。
今日はここまで。
追記
2020年4月18日、トンド地区で火災が発生したらしい。被害の規模と犠牲者の数は把握していないが、住民の無事と一日も早い復興をお祈りします。