2017年3月1日 ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ二日目 

サラエボ郊外の大墓地 ボスニア・ヘルツェゴビナ

3月1日、サラエボ最後の一日はずっと雨だった。途中で同じ部屋になったモロッコ人男性のイェシンと朝食を取ることに。この宿、朝食は付いていたがパンと生卵、バター類が置いているのみのマジのセルフ形式だった。私はその生卵でスクランブルエッグを作り、彼はコーヒー(自由に飲める)を入れてくれた。

出来上がった朝食を丁度テーブルにいたロシア人と一緒に食べた。外の雨は強くなっていく一方だったので止むまで部屋で待機することに。モロッコや日本の話をしていくうちに、丁度ビザ事情に触れることになった。ここでは驚きの連続だった。

ビザ無しで行ける国というのは国それぞれ異なる。しかし、彼の国モロッコではビザフリーで行ける国はかなり限られてくるらしい。なのでボスニアをはじめとするヨーロッパの国々に行く時もビザの手続きをしたそうだ。行ける国といえばアルジェリアやトルコ、韓国(意外!)等の国々。一方、日本では皆さんもご存知かもしれないが、90カ国以上がビザなしで渡航ができるのだ。それをイェシンに言ったらめっちゃ驚かれた。

普段日本に住んでいたり、海外に行かない人はこの事実に気付かないかもしれないが、日本のパスポートというのは多くの国で受け入れられており、世界一周だって容易に行くことができるのだ。

私自身も恥ずかしながらこのありがたみを忘れかけていた。しかし、様々な国々の人と話をし、それぞれの国の事情を知ることによって、日本のパスポートの強みというのは改めて気付かされるのだ。

私の周囲の人たちは別として、最近の若い子達は海外旅行に関心が無い人が増えている気がする。昨年うちの大学で開催された合同企業説明会に参加した時、ほとんどの企業が駐在員制度の話をするのだが、その時社員さんが、海外に興味があるかどうかを学生に聞いたところ、ほとんどが興味がない、外に出たくない、国内でいいという意見が多かった記憶がある。もしかしたら一人暮らしをしていたり、貧しい家庭にいて行きたいけどお金がないから行けないという事情も有るかもしれない。

確かに個々それぞれ事情はあるかもしれない。しかし、日本は自由に多くの国を行き来できる数少ない恵まれた国である。世界一周もできるし、行きたい時に行くことができる。それを利用しないのはかなりもったいないと思う。海外旅行はハードルが高く思えるかもしれない。だが、海外なんてパスポート、お金、必要最低限の英語力と度胸があれば行けるのだ。根性なしで語学力クソの私でも1ヶ月何とかなっているのだから。出国しちゃえばこっちのもんさ。

なんかどうでもいいことを長々と語ってしまったが、ビザの話になってから色々と考えるようになったのだ。国際交流は楽しいだけでなく、テレビ等のメディアでは決して報道することのないリアルのお国事情の勉強もできるいいきっかけとなるのだ。(テレビ番組では海外のネガティブな側面はほとんど触れない事が多いので情報収集をする際、当てにならない。)

ゴホン、ここで旅行記に戻すことにしよう。しばらくリビングでダラダラ過ごすうちに雨は止んだ。それから二人で出発することに。この日行ったのは墓地とオリンピックスタジアム周辺。中心地からは少し離れているのでバスに乗って北の方に向かうことに。

10分乗り続け、ようやく到着。そこで最初に迎えられたのが黒い野犬だった。よく見ると耳にタグが付いていた。(写真は撮り忘れた。)おそらく狂犬病の予防接種済みなのか避妊済みかのどちらかであろう。中心地は野犬はほとんど見ないが、郊外には結構見かける頻度が高く、普通にうろついていた。

 

郊外の長めもやっぱり山だった。上の方はほぼ雪が積もっている。

 

しばらくあること墓地に到着。ここが入口である。

 

墓が見つかりやすいように場所が表示されている。

 

入口入ると早速白い墓が見えてくる。実はここ、元オリンピックの会場だったのだ。それがとても信じられない。でも幻想的であるというのもなんだか複雑である。

墓地を見る時、イェシンが「せっかくだから写真を撮ろう!」と言った。しかし、私はそれはちょっとといったら「なんで、キレイだから良いじゃん」といったがさすがに墓をバックに写真を撮るのは抵抗があったし不謹慎だとおもってしまったのでやめた。

 

本当にオリンピックがやってたんだな。。。

近くにオリンピックのモニュメントが見えてきた。ここから元会場に向かう。しかし、お互い道に迷ってしまう。そして再び雨が降ってきた。しかも強まってきたのでここで退散することに。我々は諦めてタクシーを呼んで中心地に戻ることに。戻った後、昼食でケバブを食べた。

この日は中心地にもかかわらず、ガラガラ。雨だから人も少ないのだろうと思ったが違うかった。よく見るとほとんどの店は閉まってたし、窓にはB&Hの国旗が掲げられていた。彼に「これは何だ?」と聞いてみたらなんと、その日はB&Hの独立記念日だったらしい。

 

 

この日は祝日らしい。

宿に戻り、しばらくイェシンとリビングでお茶をすることに。彼は礼拝があるからモスクに行くと言って一時的に出ていった後、溜まっていたブログを更新。外からアザーンが聞こえてきた。

彼が戻った後、宿のスタッフにタクシーを予約したもらった。チェックアウトを済ました後宿を後にし、イェシンともお別れ。その後、ザグレブ行きの夜行バスに乗るため、バスターミナルに向かった。ここでB&Hとはさよなら。次はクロアチアのザグレブに行くことに。