2023年5月9日〜11日 ウクライナ国境の街 ポーランド・メディカの今

ポーランド

5月9日から2日間、私はウクライナ国境の街であるメディカを訪問しました。

メディカという街は、ウクライナ侵攻関連のニュースで聞いたことがあるという人もいるかもしれません。この街はウクライナの国境と隣接しているため、昨年2月にロシアによるウクライナ侵攻の開始直後に大量の避難民が殺到し、国境検問所付近が一時的な避難所となったことで知られています。

そして現在、この国境にある小さな街は今どうなっているのだろうか。ふと気になった私は迷いはあったものの、思い切ってメディカを訪れることにしました。

以下が、現在のメディカの様子です。国境検問所付近は撮影はできないため、写真は少なめですがご了承ください。

ジェシェフのバス停にて。ここからメディカ行きのバスが運行しているみたいですね。
メディカまでのルートはザモシチ→ルブリン→ジェシェフ→メディカ。いずれもFlixBusを利用。この辺りからトラックの長い行列が続いていました。ちなみに、乗客のほとんどはプシェミシェルで降車し、メディカ終点までは私と老夫婦のみとなりました。
ポーランド各街行きのバスを待っていると思われる人達(多分ほぼウクライナ人)。なぜか年配の女性が多く、皆さんのほとんどは免税で買ったタバコとウォッカ等のスピリッツの瓶を抱えていました。
至る所に掲出されているウクライナ避難民向けの求人チラシ
検問所近くには宿泊所も。
ヨーロッパ周遊旅の強い味方、格安バスFlixBusがメディカ発ヨーロッパ各国行きのバスを提供。ポーランド各都市をはじめ、ベルリンやアムステルダムまで行くことが可能。
自動車用の部品を販売している模様。
メディカ駅。停車している列車のほとんどは貨物であり、旅客列車が運行している様子はなさそうでした。そもそも運行していない可能性大…?
ユニセフのウクライナ避難民向け案内所の看板。ユニセフをはじめ、UNHCR等のボランティアが避難民のサポートをする様子を確認。この看板を見ている時にそのユニセフのスタッフに「大丈夫ですか?何か助けが必要ですか?」と声をかけられました。どうやら私を避難民と思ってたみたいですが、特に困ったことはなかったので「大丈夫です」と断りました。

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写真には撮っていませんが検問所の周辺にはスーパーマーケットや軽食屋などのお店もあり、食料などの最低限のものは揃えることはできるようです。また、出国審査待ちのトラックの前に3人ぐらいの年配女性が何か大声で訴えている様子が確認できました。何を言っているのかは正確には聞き取れませんでしたが、3人とも深刻そうな表情だったことからSOSを出していたと思われます。それをここで眺めることしかできない自分が情けなく感じます。

検問所を離れると周辺の物々しい雰囲気とは一変。検問所付近の喧騒とは無縁の長閑な光景がありました。そこは小鳥のさえずりが響く緑あふれる公園やオシャレな民家、だだっ広い平地が広がるごく普通の村だったのです。

宿周辺の景色。本当に何もありません笑 ちなみに今回宿泊したホテルは検問所から徒歩で約40分かかり、15kgのバックパックを背負って歩いたので肩が死ぬかと思いました。
宿泊したホテルの一室。ダブルルームでしたが、1名分料金で利用できました。2泊しても1万円しなかったので結構安い。しかも専用バスルーム&朝食付き。ただ周辺の店ゼロ&徒歩40分が地味にキツかった笑
グルンヴァルト記念碑。タンネンベルクの戦いのことですね。1410年にポーランド王国とリトアニア大公国の連合軍はこの戦いでドイツ騎士団を破っています。その勝利を讃える記念碑は1910年に500年記念で建立され、第二次世界大戦で一度破壊されましたが1985年に再建されたそうです。

メディカは観光地ではありませんが、歴史的価値のある名所はいくつかあるみたいですね。そもそもメディカという村自体も14世紀にはすでに存在していたらしい。

1607年に建てられた木造教会。日本の弥生時代に一世を風靡した高床倉庫を連想するユニークな見た目が特徴の教会。残念ながら中を見ることはできませんでした。
フ・メディツェ公園にある19世紀の作家パヴリコフスキーの邸宅を利用した博物館らしいですが、こちらも残念ながら臨時休業中で入れませんでした。
邸宅付近の公園は非常に静か。まるでここだけ時間がゆっくりと流れているようでした。
旬の菜の花が満開のためか、至る所で黄色のカーペットを見ることができました。
遠くには風力発電が確認。ガチの田舎に来たことを実感。そもそもこんな小さい村を旅したのは初めてですわ。
村に唯一あったレストラン、というかケバブ屋で昼食。500円でこのボリューム(実物は結構デカかったです)。日本で同じものだと多分1000円近くしそう。
至る所でニワトリがいました。ヨーロッパの村あるある。
満点の星空。静寂に満ちたメディカの夜。宿のベランダから撮影。こんな綺麗な星空を見たのはいつ以来でしょうか。改めて、この近くにある隣国で戦争が起きていることが信じられない気持ちになりました。ちなみに余談ですが、実際は写真よりも星がもっと多く綺麗だったため「流れ星流れないかなあ」と密かに期待している自分がいました笑笑 願い事を考えながら流れ星を待つ30歳アラサーここにあり。

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以上がメディカの旅行記でした。

実際に訪れた感想ですが、一年経過したためか思っていたよりは比較的落ち着いている印象でした。また、侵攻当初にあったと思われるキャンプ場は私が見た範囲ではすでに撤去されているように見えました。(もしかしたら見えない部分でまだあるかもですが…)一部のボランティア団体とそのスタッフが活動している様子はありましたがが、一旦こちらも目処がついたのかなという感じです。むしろ、避難民と思われる人々が大きな荷物を持ちながら検問所に向かっている姿が多くあり、ウクライナ行きのバスも何本か見かけたので、もしかしたら祖国に帰る方が増えているのかもしれません(特に戦況がそこまで酷くないリヴィウなどの西側出身の方なら尚更なのかも)。

メディカは国境検問所を離れると民家が並んだ小さな村があり、小鳥のさえずりや犬、ニワトリの鳴き声が響くような長閑な雰囲気がありました。小さい田舎町ですが道は綺麗に整備されており、洗練されたおしゃれな民家も結構ありましたし、わずかですがお店や史跡、教会も最低限揃っていました。そこには、犬を散歩する人や学校帰りにアイスクリームを食べる子供達、庭で優雅にティータイムを楽しむ老夫婦、農作業をしている人等、ごく普通の日常生活を送っている人々の姿があり、思わずほっこりしました。そのような街の隣でまさか戦争が起きているなんて信じられるでしょうか。

今回はここまで。前後してしまいましたが、次回はメディカ訪問の前に行った世界遺産の街ザモシチの旅行記を投稿予定です。完成までしばしお待ちを。

それでは。