「イスファハンは世界の半分」
このセリフをどこかで聞いたことがあるという人もいるだろう。「高校の世界史で習った!懐かしい!」と思う人もいるかもしてない。これはイランがサファヴィー朝だった時、繁栄をしていた首都のイスファハンを讃えた言葉だ。「世界の中心」というならまだしも、「世界の半分」というなんとも微妙な表現な気はせんでもないが。
私もイスファハンを知ったのは高校の世界史の授業の時。この時からなんとなくイランに対する憧れを持っていたけど、ついに実際に行くことになるとは当時夢にも思わなかっただろうなあ。
街自体は非常に美しく魅力が溢れていた。これからイスファハンの魅力を存分に紹介していきたい。
今回宿泊した宿はテヘランのホステルと同じ系列の所で。名前はSeven Hostel。しかし、看板は別名。ややこい。
無料の朝食が付いていた。イランの食卓で必ず並ぶ薄いパンとスイカ、そのままのゆでたまごだけという簡易的なもの。
宿から歩いて20分ほどの場所にあるアッバシホテルのロビー。このホテルはイスファハン屈指の有名高級ホテル。かつては王朝が建設したキャラバン・サライだったらしく、後にこのホテルに改装されたようだ。息を呑むほどの美しさ。当然だが一泊ウン万円はするだろうから宿泊はしていない。
アッバシホテルには庭園がある。ここにキャラバン・サライの面影が見える。絵になるなあ。(本音を言えば金があればここに泊まりたかった)
ホテルの庭園にしてはかなり広い。非宿泊者も入れから嬉しい。
よめないです
この日は生憎の雨。しばらくアッバシホテルのロビーで雨宿りをし、一旦止んだので散策を再開したが、再び降り出す。
しかも嫌がらせのように強めのがきた。幸い、ヒジャブによって頭は雨から守られた。傘いらないね。といってもさすがに本降りの中歩くわけには行かないので小洒落たカフェでコーヒーを飲んで待機。
雨が止み、いよいよ念願のイマーム広場へ。
イマーム広場。中心に池があり、夜になるとライトアップと同時に噴水を見ることができる。とてつもなく広い。
この広場はかつて「王の広場」と呼ばれていた。17世紀にサファヴィー朝のシャー(王)アッバース1世によって建設され、王朝関連のイベントや青空市等が開催されていたとか。建物の中はモスク以外は全てバザール。そのため周囲にはペルシャ絨毯やお土産屋の客引きも多くいた。
金曜モスク(ジャーメ・モスク)。その原型となったモスクは歴史が長い。イスファハンには青色の幾何学模様のモスクが多く、どれも見ごたえのある美しさ。
天気はイマイチ。でも水面に移ったモスクが幻想的。
イマーム・モスク。
雨は殆ど止んできた。ようやく散策できる。
イマームのバザール。商品の種類ごとにエリアが形成されている。ここは陶器のエリア。
訪れたペルシャ絨毯屋でチャイをごちそうになった。イランの絨毯屋では客にチャイを振る舞う。ここの絨毯屋の店主は日本語が話せる。彼によれば、日本の高島屋と取引があるらしく、「日本では高い。だからあなたはここで買うとお得」とやたらと勧めてくる。分かるよおじさん、買って欲しい気持ちは。ペルシャ絨毯は魅力的だし、欲しいけどね。でも買うと一週間分の旅費がパーになる….
しばらく世間話をし、恋バナまで持ちかけてきた。「彼氏はいるか?」と聞かれ、「いない」と言ったら「もったいない。なんでいない?!じゃあ俺はチャンスありかな」とか言い出した。いやいやあんた、会ったばかりだろう。
安くしてくれるとはいえ、やっぱり高いのでおじさんには丁寧に断って店を後にした。おじさん「見るだけならタダだからね。でもまた戻ってくるの待ってるよー」と言ってくれた。
またイマーム広場に戻ると、イラン人の青年に声をかけられた。「どこから来たんだい?」と。「日本です」といったら、「日本か!イランへようこそ!(またこれ)」とまたまた歓迎。すると彼は「知り合いに日本語できる人がいるから紹介するよ」といい、その人を連れてきた。来た人はだいぶおじいさんで日本語で挨拶をしてきた。この人(以下マフメドさん)は英語の教師をしていたらしく、定年退職後は観光客にイスファハンを案内しているのだそう。早速私もその洗礼を受けることとなった。
会ってそうそう連れて行ってくれたチャイハネ。チャイハネとはイランの紅茶カフェのこと。 この店はイスファハンでは老舗らしく、日本人も多く来ているのだとか。天上の無造作にゴチャゴチャした感じが味がある。マフメドさんが「天上!美しい!キレイネ!」と言っていた。しばらく日本語で会話をしていた(とはいっても流ちょうではないので半分以上は英語で会話)。マフメドさんは自身が覚えてきた日本語を披露してくれた。好きな言葉は「人生の半分は損している」と「まずしい」「かなしい」らしい。なぜネガティブな言葉ばかりなのがよく分からない。そして私に向かって「あなたは人生の半分は損している」といった。何がじゃ。
チャイと氷砂糖。右にあるお菓子はイランで「象の耳」と言われている。揚げた生地にはちみつを絡めたもの。とても甘いが病みつきみなる。またマフメドさんが「ゾウミミ!ゾウミミ!」と。このおじさん、割りと面倒くさいゾウ ….
謎のおっさんのポスターカードと一緒に。
チャイを楽しんだ後にバザールを案内してくれた。カレー粉が地層みたいになっている。この一帯はいい匂いがしていた。マフメドさんは「薬味! 薬味!」といって商品を紹介。終わった途端せっせと歩いていく。そしてまた「人生の半分は損している」と言った。どんだけ好きやねんその言葉。
バザールの中も幾何学模様でモスクと同じ。
この一帯は洋服や靴が売られていた。頭に巻くスカーフもあった。
この辺はアッパー通り。銅製品の店ばかりが並んでいた。奥にはホメイニ師とハメイニ師の写真。 イランの最高指導者で街の至るところに写真が飾られている。
つづいて銅製品。電気がなくても明るく見える気がする。
マフメドさん、さっさと行こうとするから付いていくのに必死にある。
日時計。
さっそくモスクの中に。入場料は200000リアル(日本円で約630円)。だいぶ高い….イランは物価の割に入場料は高いのだ。
キャプションはなぜかハイテク仕様だった。
ここからはイマームモスクの写真が続きます。
入ると美しいコバルトブルーの天井がお出迎え。入るものを圧倒する世界一のモスク。光加減によって美しさがさらに引き立てられていますね。 絨毯やにこれと同じ模様の商品があった。
生きててよかった~。そしてイランに来てよかった。最高。
これを17世紀に建てたというだけでも驚き
圧倒的美しさ。嫌なこともすべて忘れていく。
心まで清らかになっていく。モスクの不思議な力。
これは階段状の説教壇なのかな。神戸モスクの礼拝所にも同じような階段があった。
このモスクには青空が似合う。見学中もイラン人に話しかけられた。イランではモスク内に限らず、話しかけられる率が高い。二人とも若かった。英語も普通に話せた。彼らとの会話に夢中になってると、時間が経ってしまった。外でマフメドさんを待たせていたので「友人を待たせているからそろそろ行くね」と言って別れた。
碑文があったが何が書いているのかさっぱり分からない。
窓からの光。つい撮ってしまった。
金曜モスクの一部は修復作業中だった。残念。
バザールにあったダチョウの卵のアート。イースターエッグとは違う別の魅力がある。奥には作業前のダチョウの卵が大量に積みかねられている。 工房には誰もいないので多分休み。
マフメドさんは次に焼き物の工房を案内してくれた。ここでは筆で模様を入れている。この作業は緻密で全神経を使うはずだが、それでも作業中の彼女たちは快く受け入れてくれた。
作業途中の作品。模様がとにかく細かい!職人技に思わず脱帽。
右は男、左は女を示しているらしい。
もう一つ行きたい場所としてスィー・オ・セ橋がある。マフメドさんに連れて行ってと言ったら「ここから少し遠いからバスで行こう」といい、バスを探すことに。すると突然走り出した。「どうしたんですか?!」と言いながら必死に走る私。どうやらバスが停車していたようでそれで走ったようだ。分かるけど私がいることを忘れないで…
スィー・オ・セ橋。ライトアップが綺麗な場所なんだとか。
本来ならここに水が溜まって川になっているのだが、このときは水は無く干からびていた。水面に映る橋を見たかったのに,,,
イスファハンの街並み。 マフメドさんが車を見て「トヨタ!トヨタ!」と言っていたが、どう見ても別のメーカーであった。
次はアルメニア人の居住地のジョルファー地区にあるアルメニア正教会に連れて行ってくれた。
この地区には10か所ほど教会が存在する。
ここには二つの教会がある。右が聖ハゴプ教会、左が聖マリア教会。 いずれも17世紀に建設。
奥に見えるのはヴァ―ンク教会。
先ほどの教会の内観。教会だが、どこかモスクの面影が残っている。キリストとペルシャ文化が融合した芸術がここにある。
地区名。ジョルファー地区はアルメニア人が多く住む。サファヴィー朝時代から彼らはすでにこの地区に住んでいた。
屋上からの眺め。
次はイスファハンのアルメニア教会の中で一番有名なヴァ―ンク教会へ。入場料はやはり200000リアル。高けえよ。しかもこれ観光客料金。
この教会は17世紀に建設された。アゼルバイジャンなどから動員されたアルメニア人のためにアッバース1世が建てたらしい。彼はアルメニア教会を保護した。他宗教に寛容であるべきだとされているイスラーム教ならではやね。街のいたるところにクリスマスツリーがあるのもそのためかな。これを聞くと、「え?イスラームは一神教じゃないの?」と思う人もいるかもしれない。確かに彼らが信じているのはアッラーであるのは間違いない。私もこれを聞いて腑に落ちたのだが、イスラーム教では、「アッラーは絶対に信じるべき存在だが、他宗教は否定せず認める」ということだそうです。
クリスマスシーズンなのか、人が多かった。
教会の中。意外と簡素?
これは博物館。
クリスマスツリーには写真撮影の行列ができていた。
ペルシャ語、アルメニア語、英語表記。
教会を後にした後、「お腹空いた」と言ったら、マフメドさんが、「じゃあうちに行こう。ママもいる。ここで食事をしようではないか」と家に招待されることになった。最初は疑い、「本当にママはいるの?」と聞いてしまった。「大丈夫大丈夫!」とは言っていたが半信半疑。
チャリティボックスは街のいたるところに設置されている。
家に向かう前にお母さんにお菓子を買うということ。ここの店主に「日本から来ました」と言ったらチョコレートを無料でもらった。日本人好きだなイラン人は。
歩いてから20分ぐらいは経っている。すぐそこと言っていたのにめっちゃ遠いじゃないかうそつき~。
ようやく家に到着。一般的なアパート。中に入ると、本当にお母さんが迎えてくれた。しかも超熱烈歓迎された。
お母さんは早速食事の準備を始めた。マフメドさんはすぐにジャージ姿になった。
この時出してくれたもの。食べかけスマン。例のうっすいパンと自家製ポテトサラダ、先ほど買ってきたお菓子(死ぬほど美味かった)。マフメドさんが「そのスカーフ脱いじゃいなよ」といって勝手に脱がそうとしたが「自分でやるからいいです」と断った。お母さんが「そうよ。せっかく来たのだからゆっくりしてきなさい」とペルシャ語で。
マフメドさん家。テレビが東芝製だった。
食事中にマフメドさんが「テヘランに留学中の日本人と知り合いなんだけど電話するかい?」といって突然携帯を取り出して電話をかけだした。日本人が電話にでると、私に回してきた。しばらく彼女と話した。実は彼女もイスファハン旅行中にマフメドさんがに話しかけられて家に招待されたらしい。私と全く同じコースを行っていたわけか。彼女曰く「あの人結構いろんなところ連れていくでしょ?振り回されたんじゃないですか?疲れたときははっきりと休みたいといったほうがいいですよ。」と対処法を教えてくれた。はい、正直だいぶ疲れました。
それからテレビで流れてくるペルシャ音楽に合わせて軽く踊ったりした。マフメドさんが「盆の踊り~!」とか言ってたけど。
休憩していた時、隣にいたお母さんがチャドルを被りだした。何事かと思ったら、お祈りをしだした。ムスリムのお祈り場面をはじめて見た。15分経ったことに終わり。「おまたせ。ゆっくり休めたかい」と。
7時を過ぎ、そろそろ帰りたくなったのでその意向を伝えるとタクシーを予約してくれた。記念写真を撮った後、お別れをしてタクシーに乗車した。まさか、イラン来て家に招待されるとはねえ…
出された食事じゃ足りなかったので宿近くのローカルレストランでイラン風のケバブを食す。イランではケバブはボリュームたっぷりのサフランライスと焼いたトマト、キャベツの漬物と一緒に食べる。もちろん肉は羊。病みつきになる。最高っすね。しかもこれで170000リアル(530円ほど)と安い。
イスファハン一日目はこれで終了。次回へ続く。