おはこんにちは。もう7月になりましたね。
2023年もいよいよ上半期に入ったところでしょうか。ついこの前まで元旦で金剛山で初日の出を見たような気がするんだけど?え、元旦はもう半年前?それどころが、日本を出て3か月が経過しようとしているだと…!?ああ、時の流れが無情にも早まっていく…
こんな私の近状はというと、3か月近くにわたる東欧(というかほぼバルカン半島)放浪の旅に一旦終止符を打ち、仕事探しをするためにドイツに戻ったものの滞在費が高額のため一時的にポーランドに3度目の入国をし、現在はドイツ国境の町シュチェチンに滞在中でございます。
前置きは置いといて、本題に入ります。これも2か月以上前の話になりますが、ポーランド南東部にあるザモシチという街に行ってきました。学生時代に行き損ねた念願の町。ザモシチは16世紀の大貴族でかつポーランドの宰相であったヤン・ザモイスキがイタリア・ルネサンスを模して建立した町。「理想都市」の構想に基つぎ、ヤン・ザモイスキとイタリア人建築家がダックを組んで建設された「計画都市」は世界でも稀であることから歴史的価値の高さが評価され、1992年にユネスコ世界遺産に登録されました。
この街の創立者である彼ですが、実は私の研究テーマである偽ドミートリー問題の当事者でもありました。彼は偽ドミートリー1世の帝位実現の支援に乗り出したポーランド国王の政策に反対をし、ポーランド国内での支援の緩慢を招いた人物でした。偽ドミートリーとこの街が直接関わりがあるわけではありませんが、研究テーマに関わりのあるザモイスキが建設した街と聞けばもう行くしかありませんよね。ということで今回は、そんなザモイスキの夢がいっぱい詰まった計画要塞都市の旅行記を書いていきます。
どんな「夢」が詰まっていたかは読んでからのお楽しみ。


そして私もザモシチに向けてFlixBusを使って出発。直行バスはなかったっぽいのでルブリン行のバスに乗車。クラクフ→ルブリン経由→ザモシチルートで行くことに。




ルブリンでの1時間の滞在を終え、いよいよザモシチ行のバスに乗車。そこで近くの席に座っていたポーランド人かウクライナ人か忘れたけど、なんか陽気なおじさんに声を掛けられ、なんとピザパンと洋ナシをもらいました笑 その後にウイスキーを勧められましたが開封済みだったのでさすがに断りましたが笑 しばらくロシア語で(このおじさんは英語が話せなかった)やりとりをした後すぐに別のおじさんとの会話に移ったので彼とはそれっきり。

街並みを見ると、やはりイタリア・ルネサンスを彷彿とさせる雰囲気を感じることができます。それもそのはず、これもザモイスキがイタリア人建築家のベルナルド・モランドに街の建設を委ねたからなのです。ザモイスキは若い頃にイタリアに留学をした経験があり、その時に見たイタリアのパドヴァという街に感銘を受けます。そして、この街をイメージした理想都市をポーランド・リトアニア共和国内に建設する計画を考えるに至りました。そのため、ザモシチは「ルネサンスの真珠」という異名を持ち、彼もまたルネサンス期の街並みを理想としていました。

しかし、次の日も天気はイマイチ。だが、この日は町の目玉であるザモシチ博物館へ。この博物館はザモイスキ家の全てが詰まっていました。ザモシチに来たならば必見です。














ザモシチ博物館は規模は小さいが、ザモシチの歴史について知れる非常に貴重な展示品が多くありました。




それにしても、訪問時は世界遺産の都市にしては非常に人が少なかったように思います。シーズンではないという関係もあるかもですが。喧騒のあるクラクフと違って非常に過ごしやすい印象でした。


ザモシチの旅行記はこれで以上です。
ところが!私はここで痛恨のミスをしてしまいました。なんと、ザモシチのもう一つの名所である聖トマス大聖堂への訪問が完全に抜けていたのです…泣 しかもこの大聖堂は19世紀当時のまま残された貴重な建築物である上にヤン・ザモイスキの墓碑があることで知られています。ザモシチでは必見のこのスポットがまさか抜けていたとは…3日間一体何をやっていたんだ私…なんたる不覚!悔やんでも悔やみきれぬ。
どうやら当時の私はザモシチ博物館を見学して満足してしまったようです。大馬鹿者ですね、はい。日本に帰国していない今はまだ訪問のチャンスがあるので、休みの日を狙って近いうちに是非訪れたいと思います。その際は当記事を更新し、写真を追加する予定です。お楽しみに。
〜おまけ〜

今回はここまで。それでは。