【旅行記】ポーランド・ザモシチ 2023年5月6日〜9日

ポーランド

おはこんにちは。もう7月になりましたね。

2023年もいよいよ上半期に入ったところでしょうか。ついこの前まで元旦で金剛山で初日の出を見たような気がするんだけど?え、元旦はもう半年前?それどころが、日本を出て3か月が経過しようとしているだと…!?ああ、時の流れが無情にも早まっていく…

こんな私の近状はというと、3か月近くにわたる東欧(というかほぼバルカン半島)放浪の旅に一旦終止符を打ち、仕事探しをするためにドイツに戻ったものの滞在費が高額のため一時的にポーランドに3度目の入国をし、現在はドイツ国境の町シュチェチンに滞在中でございます。

前置きは置いといて、本題に入ります。これも2か月以上前の話になりますが、ポーランド南東部にあるザモシチという街に行ってきました。学生時代に行き損ねた念願の町。ザモシチは16世紀の大貴族でかつポーランドの宰相であったヤン・ザモイスキがイタリア・ルネサンスを模して建立した町。「理想都市」の構想に基つぎ、ヤン・ザモイスキとイタリア人建築家がダックを組んで建設された「計画都市」は世界でも稀であることから歴史的価値の高さが評価され、1992年にユネスコ世界遺産に登録されました。

この街の創立者である彼ですが、実は私の研究テーマである偽ドミートリー問題の当事者でもありました。彼は偽ドミートリー1世の帝位実現の支援に乗り出したポーランド国王の政策に反対をし、ポーランド国内での支援の緩慢を招いた人物でした。偽ドミートリーとこの街が直接関わりがあるわけではありませんが、研究テーマに関わりのあるザモイスキが建設した街と聞けばもう行くしかありませんよね。ということで今回は、そんなザモイスキの夢がいっぱい詰まった計画要塞都市の旅行記を書いていきます。

どんな「夢」が詰まっていたかは読んでからのお楽しみ。

クラクフの駅で食べた朝食のバーガーキングのセット。気のせいかもだけど、なんか小っちゃくなってね?その割にはそこそこ値段がしたような気がする…ここに限った話ではありませんが、全体的にも世界的にも食べ物の大きさが年々小さくなってきているような気がします。
リヴィウ、チェルニーヒウ等のウクライナ各都市行のバスがクラクフから何本か出ていました。侵攻開始から1年が経過し、祖国に戻る人が増えているのかもしれません。

そして私もザモシチに向けてFlixBusを使って出発。直行バスはなかったっぽいのでルブリン行のバスに乗車。クラクフ→ルブリン経由→ザモシチルートで行くことに。

ポーランド国内の道中でよく見る光景。この時期は菜の花が満開だったので至る所で黄色のカーペットを見ることができました。
クラクフから3~4時間程でルブリンに到着。バスターミナルは非常に質素でしたが、Wi-Fiも繋がるし周辺にお店や軽食やもあったのでそこまで不便はなかったです。
とはいってもなんとなく旧共産っぽい雰囲気があるような気がせんでもないが…
ここにもウクライナ避難民向けのインフォメーションカウンターがありました。

ルブリンでの1時間の滞在を終え、いよいよザモシチ行のバスに乗車。そこで近くの席に座っていたポーランド人かウクライナ人か忘れたけど、なんか陽気なおじさんに声を掛けられ、なんとピザパンと洋ナシをもらいました笑 その後にウイスキーを勧められましたが開封済みだったのでさすがに断りましたが笑 しばらくロシア語で(このおじさんは英語が話せなかった)やりとりをした後すぐに別のおじさんとの会話に移ったので彼とはそれっきり。

ついに念願のザモシチに到着。しかし、あいにくの雨で結構降っていたのでこの日は観光は断念。

街並みを見ると、やはりイタリア・ルネサンスを彷彿とさせる雰囲気を感じることができます。それもそのはず、これもザモイスキがイタリア人建築家のベルナルド・モランドに街の建設を委ねたからなのです。ザモイスキは若い頃にイタリアに留学をした経験があり、その時に見たイタリアのパドヴァという街に感銘を受けます。そして、この街をイメージした理想都市をポーランド・リトアニア共和国内に建設する計画を考えるに至りました。そのため、ザモシチは「ルネサンスの真珠」という異名を持ち、彼もまたルネサンス期の街並みを理想としていました。

この日は何かのイベントがあった模様。食品や工芸品、民族衣装などを販売しているお店が出店していました。

しかし、次の日も天気はイマイチ。だが、この日は町の目玉であるザモシチ博物館へ。この博物館はザモイスキ家の全てが詰まっていました。ザモシチに来たならば必見です。

目を引くカラフルな建物が特徴的。こちらはかつてアルメニア商人の邸宅がありました。赤い方の建物がザモシチ博物館です。
博物館出入口。重厚はドアのせいでなんだか入りにくい雰囲気がありますが、ちゃんと入場できますのでご安心を。入場料はうろ覚えですが10ズロチ程だった気がします。
チケットを買ったら近辺にあるカフェの割引チケットをもらいました。珍しい。
入場したらまず最初に目にするのは、町の建立者ヤン・ザモイスキの巨大ポートレート(見たことがある!)。その下の床には17世紀のザモシチの要塞内の地図が描かれています。
これがヤン・ザモイスキの巨大ポートレート。大貴族、宰相としての風格を見事に表現されています。
1580年に発行された当時の国王ステファン・バートリによるザモシチ建立に対する同意書。
ザモイスキの娘?だったような
ヤン・ザモイスキの胸像。
こちらもヤン・ザモイスキのポートレート。
17世紀以降のザモシチを模型化したもの。こうしてみると、要塞の形が函館にある五稜郭に似ています。その後ろにはザモイスキ家の一人である、トマシュ・ザモイスキ(だったような)のポートレートが写っています。
ザモシチのシンボルとなっている市庁舎の当時の姿を再現。こちらも建設を重ねて現在の姿になったようです。ちなみに中は入れません。
こちらは20世紀以降のザモイスキ家の人々のポートレート。この家系は現在でも継続しているのだとか。
ザモイスキ家の史料だけでなく、当時のポーランドの生活様式に関する展示もありました。これは20世紀前半頃に一般男性が来ていた民族衣装。帽子のポンポンがかわいい。
これも同時期の女性の民族衣装。ジャケットがとても男性的で格好良いのが印象。女性の衣装にしては珍しいデザインのように思えます。

ザモシチ博物館は規模は小さいが、ザモシチの歴史について知れる非常に貴重な展示品が多くありました。

創立者ヤン・ザモイスキの騎馬像。
その後ろにはかつてザモイスキが住んでいた邸宅があります。一般公開はされていないので中を見ることはできません。
博物館でもらった割引券を利用して注文したコーヒー。非常に良いサービスだと思います。「博物館を見て回った後にカフェで一服したい」人たちの心理をついた営業戦略ですね。
3日目の滞在でようやく晴れました。やっぱりカラフルな旧市街には青空が映えますね。

それにしても、訪問時は世界遺産の都市にしては非常に人が少なかったように思います。シーズンではないという関係もあるかもですが。喧騒のあるクラクフと違って非常に過ごしやすい印象でした。

小さい街だが、散策するだけで十分に楽しい。
旧市街から少し離れた場所を散策すると湖も見れます。人がほとんどいないのでかなり寂しいですが。

ザモシチの旅行記はこれで以上です。

ところが!私はここで痛恨のミスをしてしまいました。なんと、ザモシチのもう一つの名所である聖トマス大聖堂への訪問が完全に抜けていたのです…泣 しかもこの大聖堂は19世紀当時のまま残された貴重な建築物である上にヤン・ザモイスキの墓碑があることで知られています。ザモシチでは必見のこのスポットがまさか抜けていたとは…3日間一体何をやっていたんだ私…なんたる不覚!悔やんでも悔やみきれぬ。

どうやら当時の私はザモシチ博物館を見学して満足してしまったようです。大馬鹿者ですね、はい。日本に帰国していない今はまだ訪問のチャンスがあるので、休みの日を狙って近いうちに是非訪れたいと思います。その際は当記事を更新し、写真を追加する予定です。お楽しみに。

〜おまけ〜

ポーランドの主要な通信キャリアである「Orange」のCM。下にはウクライナ語の字幕が表示されていました。ポーランドは最もウクライナの避難民が多く、かつSIMカード等の通信系が一番需要が多いのも関連しているのでしょうね。

今回はここまで。それでは。