2019年5月5日 ミャンマー・ヤンゴン最終日、出発と帰国

アジア諸国

5月5日、ついに来てしまったこの日。ミャンマーを去る日だ。なのでこの日のテンションは低かった。準備のために早起きをしたら、同室のチリ人と会った。「今日はここを去る」と伝えたら彼が、「ここ出る前に一緒に周辺を散策しない?」と誘ってくれた。言葉に甘えて、昨日行きそびれたアウンサンマーケットに行くことに。宿からは地味に遠いが30分ぐらいかけて歩いた。その時アメリカ入国の事情やヤンゴンでマクドを見ないのにKFCは見るよね的な話をした。

ようやく到着したアウンサンマーケットの2階。この時時間は7時30分だったのでどの店もまだ閉まっていた。一部開いていたお店もあったが、撮影禁止のところもあったので写真は少なめ。申し訳ない。

1階もこの通り。お店はまだ閉まっていたので当然だが、人もほとんどいない(開店準備をしている店員はいた)。どうやらアウンサンマーケットの開店時間は8時かららしい。それまで二人で待つことに。

お店はロンジー屋や彫刻屋、土産屋をはじめ、翡翠専門店などのジュエリーショップも多くあった。ミャンマーは市場に限らず、ジュエリー店の数が多い。ロンジーここで買えばよかった。

上から見たマーケットの外観。写真入は写っていないが、イベント的な何かがやっていた。

すまん、ちょっとぼやけた。お昼ぐらいになると混むらしい。

開店まで待とうという話だったが、私の出発時間があったので残念ながらマーケットは後にした。

1929年に建てられたと思われるマンション。ダニエルが「珍しい!古い建物がこんなにキレイに残っていたなんて!」と感激していた。

ダウンタウンの風情溢れるこの景色もしばらく見れないと思うと寂しくなってきた。

アウンサンマーケット近くの歩道橋。近くにはショッピングモールらしきのもがあった。

ダウンタウン近くにあったビリアニ屋で最後の朝食を食べる。ビリアニはインドを始めとする南アジアの広い地域や東南アジアの一部で食べられているスパイスの炊き込みご飯。ムスリムの料理らしく、お肉は鶏だった。200円ぐらいで超美味くて癖になる味だった。ダニエルは何も注文していなかったので「食べないの?」と聞いたら「僕は鶏肉がダメなんだ。大丈夫だよ。」と言った。こんなに美味しいのに。彼は私がムシャムシャ食べている姿をただ見つめていた。

店内。なぜか椅子が原色の青色だった。

分かりにくいかもしれないが、真ん中の屋根辺りに猫が歩いていた。ダニエルが見つけてくれた。「ほら見て!ここの屋根に猫がいるよ!すごいね!」と。

朝食後もまだ時間があったので、結局アウンサンマーケットに戻った。8時を過ぎていたので店も開店していた。洋服屋多め。

人も少しずつ増えていた。でも残念ながら買うものはなかった。

でも見ているだけでも楽しいのが市場の魅力。これはロンジー屋に積まれていた布。ここの店員さんも麺料理をすすりながら接客していた。

最後までヤンゴンを散策できてよかった。早めに空港に行きたいから宿に戻ろうと言い、ここで終わりにした。

宿に戻り、空港行きのタクシーを予約する。それまでにダニエルと話をしたが思っていたよりも早く到着した。バックパックを受け取り、ここでダニエルと宿の店主とお別れをした。ありがとう、楽しかったよ。

タクシーに乗ると座席のカバーが全てキティちゃんで笑ってしまった。運転手がちょいイカつめのおっさんだけあって。

アウンサンマーケットの前。

見えづらいが左上の広告が日本料理の宣伝だった。

タクシーで40分、ついに到着してしまった空港。

空港から見たヤンゴン。今から出発とか辛すぎる。今思うともう少し滞在期間を長くすればよかったと後悔。

関空と違ってガラガラの空港。

出発時間は13時30分。この時、関空までの乗り換え回数は2回。実はヤンゴンから昆明まで行くのかと思ったが、なぜか南寧の空港で降りて昆明まで行くことになっていた。ここでちょっとして悲劇に遭うことに。

昆明行きの国内線に乗るためにまずは中国への入国審査を受け、イミグレに並ぶ。いつも通りすんなり入国できるかと思ったが…..

ところがどっこい、審査官が突然パスポートを広げ、「これはなんだ!」と問い詰めるではないか。彼女が指したのは、なんとイランビザだった。そこから「イランに行った目的は?」「何日間いたのか?」「なぜイランを渡航先に選んだのか?」「いつ行ったのか?」と質問攻めに遭う。やましいことなどは一切なかったので正直に答えたが、中々分かってくれない。挙句の果てに、ちょっと待ってと言って個室に連れて行かれた。個室には20分ぐらい拘束された記憶がある。ここでも先ほどと同じ質問をされ、また指紋を取らされた。「このまま拘束されて帰国できなくなったらどうしよう」と冷や冷やしたが、なんとか開放された。これがアメリカなら分かるが、中国がここまでイランの渡航歴に警戒する事例は初めてである。

やっと入国でき、昆明行きの便に乗る。

昆明行きで出た軽食。中はパンだった。箱のイラストが可愛かったので思わず撮った。

20時に一週間ぶりに昆明に戻り、空港内のレストランで夕食。

辛くて美味しい麺。値段は60元(930円)と空港なので高め。多分市内ではこれと同じ料理を300円以下で食べられるはず。

食べ終わり、ここで会計する。お店の入り口にVISAマークがあったのでカードを使えると思い、カードを差し出したが、なんと「NO CARD」というまさかの返答。嘘だろマジか….「いや待ってください、お店の入り口にVISAマークあったじゃないですか。本当に使えないんですか?」と言っても頑なに「No」としか言わない店員。代わりに他に何が使えるのかと聞いたら、「現金だけです。それ以外でしたらウィーチャットペイです」とのこと。ウィーチャットペイは使えないんだって外国人は….

「じゃあATMの場所を教えて下さい。後でまた来て支払います。」と言ったら、店員の男性が、「じゃあ案内するから付いてきて」と一緒に探してくれた。すると、なんとか無事に国際キャッシュカードが使えるATMを見つけ、支払った。店員にお礼を伝え、店を後にした。まさか一緒に探してくれると思わなかったので驚いた。感謝しかない。

ここから地獄の空港泊が始まった。案の定寝れなかった。スマホゲームのイベントを走ろうとするがWi-Fiの電波が弱いので捗らない。

ようやく朝になり、7時過ぎに昆明を出発。

この日は快晴だった。もし時間があったら昆明の観光もしたかった。大連の時もそうだったが、同じ形の無機質な建物が規則正しく並んでいる様は独特だ。中国特有というか。

12時過ぎに上海に到着し、すぐに関空行きに乗る。この時席が隣になったおばあさんコンビと話がはずんだ。このおばあさんは上海に滞在していたらしく、昼からビールを注文して思いっきり飲んでいた。いよいよ日本帰国である。

15時、関空に到着し、無事に日本に帰国。10連休を丸々使った贅沢な東南アジア旅はこれで幕を閉じた。今回の旅で、東南アジアの良さと素朴さ、不思議な魅力を感じることができたと思う。また行きたい。

東南アジア旅の旅行記はこれでおしまいです。ありがとうございました。次は8月のフィリピンの旅について書いていきます。

それでは。

後日

お土産で買ったミャンマーウイスキー。最後まで満喫しました。