2014年8月22日 ロシア・サンクトペテルブルグ前半 エルミタージュ美術館に行ってきた 

ロシア

8月22日。ペテルブルグ二日目。ブログを書くためにペテルブルグの写真の枚数を数えてみたが、この日だけでも撮った写真は200枚以上あることが分かった。ブログに挙げるにはあまりにも膨大すぎるので、前半と後半に分けて書くことにした。

前半では、エルミタージュ美術館に行ったことをまとめて書いていきたい。

今回一緒に回ったのはモスクワに留学中の後輩に紹介してもらった日本人留学生の子。この日は一日中彼女の案内の元ペテルブルグを満喫した。

当時の朝の天気。かなりどんよりしている。少しだが雨が降っていた。

 

雨の中、朝から出発。道中ではカザン聖堂がお出迎えをしてくれた。

 

血の上の救世主教会から続く川。その先に有名なスフィンクスの橋がある。

 

ニコライ一世の騎馬像。画像が荒くて申し訳ない。彼は19世紀半ばにロシア帝国を統治していた皇帝(インペラートル)である。父パーヴェル一世の息子でエカテリーナ二世の孫であり、その兄はアレクサンドル一世。

 

こちらがみんな大好きエカテリーナ二世。ロシア史上最強の女帝である。その下にいる男たちは彼女の愛人であり、そのど真ん中にいるのが一番のお気に入りであったグリゴーリー・ポチョムキン公爵。 ちなみにウクライナのオデッサにもあるエカテリーナ像にも下には複数の愛人がいる。

 

ペテルブルグ最大の通りであるネフスキー通り。その先にアレクサンドル・ネフスキー修道院があることからその様な名前になったらしい。 歩行者天国になっており、人だかりもすごいのでスリや窃盗には気を付けよう。ちなみに私は小太りの中年男に地下鉄からこの通りまで付きまとわれたので要注意だ。

 

しばらく歩いていくうちに見覚えのある建物が見えてきた。エルミタージュ美術館だ。高校時代からあこがれていたあの世界三大美術館というのもあり、興奮が隠し切れなかった。ついに願いが叶ったんだ。

 

そしてついに、美しいエメラルドグリーンの外観をお披露目。ついに来た、来たぞ。

 

そしてこれはアレクサンドルの円柱である。これはロシア皇帝アレクサンドル一世軍のナポレオン戦争の戦勝記念に建設された。

 

いつ見ても飽きないこの荘厳な外観。世界三大美術館所以である。

入館するためにチケット売り場に行くと、予想通り長蛇の列ができていた。夏というのもありなおさらであろう。だが、実は私は事前にオンラインでチケットを予約しており、バウチャーも日本で印刷してきたのでそれを予約用の窓口にパスポートと一緒に提示したらすぐに入れた。 旅は気まぐれというが、こういう時は事前準備が必要であることを改めて学習した。写真撮影も別料金を支払えば撮影が可能。その時はカメラマークが描かれたシールを胸元に貼る必要がある。

 

早速エルミタージュの世界にいざ突入。出迎えてくれたのは豪華な「大使の階段」。大理石の階段と黄金色の装飾が見るものを圧倒する。

 

ここの撮影スポットの一つだ。しかし、見とれて油断している間にスリに遭わないようにも注意。 ここからしばらく階段の写真が続く。

 

 

上から見ても下から見ても見惚れてしまう

 

ここから絵画の紹介をしていく。これはあのお馴染みエカテリーナ二世である。これは女帝になってからだいぶ経ったときの肖像画だ。数多くある彼女のポートレートの中でもよく見かける。

 

これもロシア皇帝のアレクサンドル一世のポートレート。スラリと背が高く、甘いマスクが特徴的。ナポレオン戦争でロシアに勝利をもたらした人物だが、その割には高校世界史ではあまり触れられない。彼はかつて私が学部1回の時最初に研究対象にしていた人だ。結局偽ドミトリーの魅力に負けて卒論で書くことはなかった。

そんな彼だが、その死はかなり謎めいてる。1825年にタガンロークで病死するが、その死因は解明しておらず「実は亡くなっていないのではないか」という疑いが出たほど。数年後、シベリアの山奥にアレクサンドル一世に酷似したフョードル・クジミッチという修道士の存在が浮上し、彼こそが実はアレクサンドル一世本人ではないかという噂が立つようになったという(またその話か!)。その根拠として、アレクサンドルが晩年に退位して遠い土地でひっそりと修道士として生活することを望んでいたことが挙げられる。これ以上の話になると長くなるのでここまでにしとくが、それぐらい歴史というのは簡単に語ることができない複雑な背景があるのだ。

 

こちらは同じくロシア皇帝のニコライ1世。アレクサンドル一世の弟。兄に世継ぎがいなかったためニコライが継承した。デカブリストの乱を鎮圧し、厳格な専制体制を築いた人物だ。 こちらは若いころのほうかな。

 

同じくニコライ一世のポートレート。先ほどのとは雰囲気が異なる。晩年まではいかないが即位からだいぶ経っている感はする。

 

同じくロシア皇帝アレクサンドル二世。ニコライ一世の子。彼は高校世界史にも掲載されているため知っている人もいるだろう。業績として一番有名なのは農奴制の廃止と農奴の開放だろう。しかし、当時の専制体制に反感を抱いていたナロードニキというテロ集団によって暗殺されてしまった。

実は私がロシアにハマったきっかけとなった人物でもある。高校二年の時、本屋に行ったとき、世界史コーナーに偶然エドワード・ラジンスキー著の『アレクサンドル二世暗殺』というノンフィクション歴史小説を見つけた。この本は上下巻に分かれている。最初はロシア皇帝にスポットの当たった本が珍しく、興味本位で中身を見ると思いのほか興味深く、最後まで読みたくなった。本は単行本で一冊3200円していた。高校生だった私にとってかなり高価な品物だったが、この時は金額のことを差し置いてまで本の内容が知りたくて仕方がなく、二冊丸々購入したのだ。

実際に読み進めると、小説的要素を交えながらも史実に基づいた鋭い論述に加え、そして、西欧とは異なるロシアの独特な歴史の歩み、ロマノフ家のミステリっくで波乱に満ちた物語の虜になってしまったのである。そこから教科書に書いていないロシアの歴史について独自で調べたり、歴史書を読み漁ることが何よりの楽しみになり、次第に大学でロシア史を研究するという夢を持つようになった。これが私の6年間にわたるロシア史研究の原点となり、アレクサンドル二世の本はその独特な世界に連れてってくれた思い出の本である。

今でも不思議なのだが、理屈ではない、何か強く惹かれたものがあったのかもしれない。

 

 これはおなじみのニコライ二世。知っての通り、ロマノフ王朝最後の皇帝。

いくつかあるポートレートの一つだ。

 

エルミタージュの内観はほぼすべて装飾されているといっても過言ではない。

 

下にあるのはエリザベス一世のポートレートその隣にはどこの博物館にもいる学芸員っぽいおばちゃん

 

巨大なシャンデリアの下に人だかりができていた。

 

みんなの目当てはこれ。エルミタージュの名物の一つである。「黄金の孔雀」といわれるからくり時計である。この時計はエカテリーナ女帝の愛人であるグリゴーリ―・ポチョムキンが彼女に寄贈したとされている。定時になると時計は静かに動き出す。18世紀の展示物だが、今でも現役で動いているのが驚きだ。黄金の孔雀は今日も来館者を楽しませている。

 

エルミタージュの窓からのぞいたネヴァ側の景色。この日は8月にもかかわらずひんやりしており、コートを着ている人も多数いた。

 

またエカテリーナ女帝のポートレートだ。彼女の絵は特に多い気がした。なぜなら、この美術館を現在の形に仕上げ、数々の名画をここに持ち込んだのも彼女本人だからだ。 この文化的功績は計り知れない。

 

これはナポレオン戦争で活躍した軍人でかつ外交官であるミハイル・クトゥーゾフ。絵を見るとただのずんぐりむっくりのおっさんだが、持ち前の采配によってナポレオン戦争でロシアを勝利に導き、外交官としての手腕に定評があった人物である。

 

これはピョートル大帝の間、別名「小玉座の間」。これはロシア皇帝の謁見のために設置された部屋であり、その上にはピョートル大帝と知恵の女神ミネルヴァが描かれた絵画が展示されている。

 

そして2回の別の場所に移ることにしよう。

ここはエルミタージュで最も行きたい場所の一つだ。ここはナポレオン戦争で活躍した軍人らのポートレートを中心に展示されている。多くの軍人たちに囲まれたひと際目立った巨大なキャンパスに描かれているのは言わずもがな、アレクサンドル一世である。 これが見たかった。

 

写真では分からないと思うが、このキャンパスはとてつもなくデカかった。本で見たポートレートを生で見た時の感動はいつまで経っても忘れることはできない。

 

 ここは「玉座の間」。別名は「ゲオルギーの間」ともいい、ロシア皇帝の玉座が置いているだけの大部屋である。

 

このぎょくさには歴代のロシア皇帝が座っていた。椅子と壁にはロシア帝国の国章である双頭の鷲があしらわれている。ちなみに双頭の鷲は現在のロシアの国章でもあるが、この当時からさいようされていた。起源は神聖ローマ帝国にさかのぼり、当時から鷲は権威の象徴としてみなされ、「第三のローマ」を自称したロシアがそれを引き継ごうとしたことがきっかけである。

 

館内は多くの人であふれていた。夏はロシアのオンシーズンだからしゃーないが。

 

もちろん、エルミタージュにはイコンも展示されている。これはその一部だ。

 

 ある一部の絵画に人だかりができていた。それもそのはず、これはあのモナリザで有名なレオナルド・ダヴィンチ作『ブノワの聖母』だからである。あまりにも人が集中していたので、じっくり見ることができず、ぼやけた微妙な写真になってしまったがご理解を。

 

 そしてこれもダ・ヴィンチ作の『リッタの聖母』。これも大人気で人が集まりまくっていた。まったく見えませんでした。ダ・ヴィンチの世界的人気が垣間見れた瞬間であった。

 

通路のアーチの装飾にも手を抜かない。ここまでくると、内観すべてが展示品である。見てて飽きない、これがエルミタージュ美術館である。

 

甲冑。

 

 窓から眺めた景色。

他にも紹介したい部分はあるが、全てを語るにはあまりにも広すぎた。次回は後半。ペトロパブロフスク要塞に行った時のことを書いていきたい。あと、エルミタージュを全館見ようと思うと丸々一日かかることは終わる前に言っておこう。

それでは。