2015年8月14日 リトアニア・カウナス 「命のビザ」誕生の地 

カウナス城外観 リトアニア

8月14日、この日は日帰りでカウナスに行くことに。

カウナスと言えば、第二次世界大戦の時にナチスの迫害の対象となっていたユダヤ人に日本行きのビザを発行し、6000人以上の命を救ったことで知られる「東洋のシンドラー」こと杉原千畝を思い出すだろう。ここカウナスは、彼が勤めていた日本領事館があった場所である。現在も博物館として公開されている。(のちに記述)それもあり、訪れる日本人旅行者も多いんだとか。もちろん私も実際に日本人の方にお会いしたのだが(これも後に記述)。

ヴィリニュスからはバスで1時間ほどで行くことができる。もちろん日帰りも可能。

まずは早朝に宿を出てヴィリニュス駅に隣接しているバスターミナルに向かう。運賃は片道6ユーロ(約780円)と少々高め。

行きはマルシュルートカみたいなミニバスで。乗車時には日本人はいなかった。

一時間後に到着。それにしても昨日の天気とは違って綺麗に晴れていた。

 

カウナスにも旧市街がある。可愛い建物がびっしりと並んだ光景はヨーロッパの街並みならでは。

 

聖ペテロ&パウロ大聖堂。15世紀ごろに建造された赤レンガの教会。

 

カウナスの市庁舎。その下には結婚式がやっていた。それよりも目の前に停車していたロングな車の方が気になっていたのだが。

 

聖フランシスコ教会。こちらは修復中。

 

銅像。リトアニアの考える人(適当)。

 

カウナスの代表的な名所であるカウナス城。こちらも見学することができる。

 

リトアニアの国章があしらわれた旗が堂々とはためいていた。

個人的にこの国章は結構好きだったりする。

 

石碑

 

カウナス城から見た景色。川が流れてゆったりとした風景となっている。日本の河川によく似ていると思うのは私だけだろうか。

 

アーティスティックな建造物。不思議と下品な感じがしない。 その下には大型バスが止まっていたがバス停になっているのだろうか。

 

可愛らしい庭に赤い花が。ポーランドのトルンでもよく似た光景があった気がする。

 

でも裏に行けば落書きがあった。これは他のヨーロッパの街でもいえることでもあるのだが。

 

特にこの落書きの多さは異常。電話ボックスや壁のあらゆる場所で見かけた。

 

ヴィタウタスの銅像。 現在リトアニアの英雄として崇められている。ヴィタウタス公は15世紀にリトアニア大公国を最盛期にしたことで知られている。1410年のタンネンベルクの戦いでドイツ騎士団を破ったことが彼の最大の功績である。下の銅像は彼が支配下に置いたロシア、ポーランド、タタール、ドイツ騎士団の兵。その有様をヴィタウタスの銅像が肩にズシンとのしかかっていることで表現されている。

しかしこの銅像、実は波乱に満ちた歴史があった。この銅像は1938年に建造されたのだが、1951年に何者かに破壊されてしまう。異論がありながらも27年前に現在の場所にふたたび建てられ今に至る。

 

剣を構え、勇ましい表情をした姿が印象的。その下には四人の敵兵が重みに耐えながらも情けなく頭を垂らしている。

 

聖ミカエル大聖堂。19世紀に建設された。中には自由に入ることができる。私は一時的にこの中で座って休憩をした。ほとんどの教会は自由に入れる上、休憩スペースとして活用できる優れものである(礼拝中を除く)。しかも超静かなので落ち着くし、何より不思議と神聖な気持ちにすらなってしまうのだ。だがこれは椅子のあるカトリック教会だからであり、基本的に椅子が設置されていない正教会ではこれができない。

 

 また例の猫の落書きを発見。多分同一人物が描いているのだろう。

カフェでカウナスに着いたことをSNSに報告しようとしたら、丁度この時期の日本でコミケ(コミックマーケット)が開催されていたことを知った。休憩後、早速杉原記念館に向かうことにした。しかし、問題は場所だが中心地からは少し離れている。しかも、結構高台にあるらしい。ちょっと面倒だが歩いていくしかない。

 

まずは、正教会がある広い公園を通る。Vytauto通りに隣接している。ちなみにこの墓みたいなのは何やろ?

 

これも十字架のモニュメント。公園の中を進んでいく。公園を抜けるとBūgos通りが見えてくる。そこに一軒家やアパートが並んでいるのが見えるだろう。 その中から上に上る階段を探していく。

 

Būgos通りをひたすら通っていくとこうした石の階段が見えてくる。これを登っていくのだが、結構しんどい。杉原記念館の道則は意外と遠い事が分かった。階段を登った後はそのまま真っ直ぐ進み、Vaižganto通りを歩いていくと到着だ。

 

この看板が見えたらゴール。後は中に入るだけ。

 

「希望の門。命のヴィザ」

記念館の内観だが、こじんまりとしていた。入館料は3ユーロ。館長のラムヌスさんが迎えてくださった。

館内にはすでに何人かの日本人が見学していた。やっぱそうだよね。ここで早速、杉原千畝に関するドキュメンタリービデオを見ることにした。日本語での放映だったが、あれ、これどっかで見たことがあるぞ…..と思ったら案の定だった。

実は以前に敦賀にある人道の港ムゼウム敦賀で同じ内容のドキュメンタリービデオを見ていたのだ。そしてまさかカウナスで同じものを見ることになるとは….

なぜ敦賀なのかというと、実は杉原氏が発行されたビザで来日したユダヤ人が最初に到着したのが敦賀の港だったのだ。

ご存知の通りだとは思うが、ここ杉原記念館は杉原氏がのユダヤ人のビザを発行した場所であり、これらをすべて彼一人で行っていたのだ。

ではなぜ、杉原氏はユダヤ人にビザを発行しようと考えたのだろうか。

1940年、杉原氏は当時、カウナスの領事館に勤めていた。同年7月、ドイツに占領されたポーランドからリトアニアに亡命してきたユダヤ人が各国の大使館にビザの申請を求めていた。リトアニア大使館が相次いで閉鎖されていく中でまだ存在していた日本領事館にも殺到していた。杉原氏は溢れんばかりの難民を前にして衝撃を受けた。しかし、当時はビザが発行される対象が限られ帝位たため、難民にはこれが許可されていなかった。

しかし、ユダヤ人の惨状を目の当たりにしていた彼は日本の外務省の反対を押し切り、「人道上の理由でこれを拒否することができない」とし、独断でビザ発給の手続きをすることを決心した。このことについて杉原氏は、

 

「苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。」

 

「私のしたことは外交官としては、間違ったことだったかもしれない。しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」

 

と記述している。

彼はカウナスを出発するまでの間ずっと、寝る間を惜しんでビザを書き続けた。それは手を酷使しすぎて動かなくなるまで続いた。ベルリン行きの列車の中でもビザを書いていた杉原氏は、全員分を発給できなかったことを悔やみながら周辺に集まった多くのユダヤ人に手渡しでビザを窓からばらまいた。ユダヤ人たちは列車が出発しても見えなくなるまで彼に向けて感謝の意を叫んだ。

そして運よくビザを獲得したユダヤ人たちは日本ム向けて出発し、ウラジオストクを経由してようやく敦賀に到着したのである。迫害される恐怖から解放された彼らにとって日本という異国の地はまさに楽園以外の何物でもなかったに違いない。

以降、彼らはしばらく日本に滞在した後、アメリカなどの各国にそれぞれ旅立っていったのである。金融業や商売などで才能を発揮し、活躍している人もいるのだとか。

これらの話を聞いた私はただただ驚きの連続だったが、自身のキャリアが失われることを覚悟してまでユダヤ人の命を救うことを決心したその勇気と行動には脱帽したことは覚えている。

そしてその舞台となった場所に自分が来ているということ自体が信じられないぐらいだった。ここで、一緒にビデオを見た日本人女性に話しかけられた。それからラムヌスさん三人で三時間ほどずっと話をしていた。このときなんと、コーヒーまでいただきました。なんてサービス精神なんだ…..もちろん雑談を兼ねて。長い時間お付き合いくださりありがとうございました。

 

 杉原氏のデスク。 こビザを書いていたんだな….

展示物を見るのに夢中になりすぎて写真がほとんど撮れなかった。もったいないことをした。

 

杉原記念館の外観。

記念館見学後、一緒に話をしていた日本人女性の方と一緒に歩いた。カウナスの中心地にあるレストランで食事もした。結構深い話をした記憶がある。旅慣れた方だったので今後の旅行のアドバイスなどをいただいた。すると、その方は「リトアニア人って、高級車乗っている人多いよね。彼らの給料では当分買えそうにないはずなのにおかしいわよね」と言い出した。言われてみれば、確かに不自然な点ではあるが、そこはなんだか気になる点ではある。

せっかくだから、と言ってその方は晩御飯をおごってくださった。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

 カウナスのショッピングセンター内にはスケート場があった。その目の前にはとあるレストランのテーブルとなっており、人々が滑っているところを見ながら食事ができる。多分。

夕方、その女性とはバス停でお別れし、ヴィリニュスへ戻った。

 

ヴィリニュス到着後、すっかり暗くなっていた。このときのヴィリニュスは日が長いのでおそらく午後10時ごろに撮影したはず。

 

ヴィリニュス大聖堂も夜になると違う顔を見せてくれる。幻想的。

 

ゲティミナス城だってほらこんな感じ。

宿に戻った後、出入り口あたりにある男性に話しかけられた。どうやらドア付近にヴィリニュスカードを落としたらしく、それを拾ってくれたのだ。危ないとこやった。

その後も、共同リビングでしばらく話をした。その男性はマルタから来たのだという。ここから恒例の「どこから来た」質問だが、日本と答えると、「ああ、日本!日本知っているよ!日本と言えばソニー!俺ソニーが大好きさ! 」と言っていたが、実際彼が使っているスマホを見るとサムスンだった(笑)(笑)おいおい….

少し暇だったので、散歩に行った。

 

宮廷博物館も夜になると幻想的になる。

 

広場から見た大聖堂。

リトアニアの旅はこれでおしまい。その次の日はラトビアに行くことになった。