2017年3月9日 ウクライナ・オデッサ二日目  歴史に触れた一日 

オデッサの市章は碇マーク ウクライナ

オデッサ二日目。この日は歴史博物館に行くことに。

宿を出て通りを歩いていると不思議な光景に出会った。

駐車場にスーツケースが謎の列を作っていたのだ。しかも一台分のスペースごとに。

謎すぎるしなんか気味が悪い。これは一体なんなの….

 謎のスーツケースの列。無駄にキレイに並んでいる。

プーシキン文学記念館にあるプーシキンの銅像。観光客らしき二人組が記念撮影をしていた。1999年って最近やな。 

祝日だった昨日に比べると一気に人が減っていた。ガラガラ 

これは世界各国の年の方向を指している看板。ヨーロッパ諸国ではよく見るアレ。よく見ると、なんと、横浜があるではないか。上にしっかりと ‘YOKOHAMA’ と書いている。なんで?と思って調べると、どうやらオデッサと横浜は姉妹都市だったのだ。だからなのか、なんで東京やなくて横浜なんやと思ったらそういうことか。 同じ港町だからね。これらの都市はすべて姉妹都市なのだ。

この日のメインである郷土歴史博物館に行くことに。歴史畑にとっては必須なので早速見学へ。

出入り口。入ると比較的愛想の良いおばさん職員が迎えてくれた。学割あり。荷物をロッカーに預け、入館。

写真撮影はできなかったので、内容はお見せ出来なかったが、オデッサの歴史を考古学、史料、民族などあらゆる観点から説明されていて興味深かった。もちろん、コサック関連の展示品もあった。

この博物館の前に学校があった。授業が終わった後なのか、子どもたちが一斉に学校から出てきて皆で手を繋ぎながら走ってはしゃいでた。その様子を博物館のおばさん達が微笑ましく見守っていた。

博物館を出た後周辺を散策。

錨のモニュメント。オデッサの市章にもあしらわれている。

 

 

郷土歴史博物館付近の公園の通り。オデッサ市民の憩いの場になっている。驚いたのは無料のWi-Fiが飛んでいたこと。アヤシイやつではなく市の公式のやつである。ベンチに座ってLINEの返信をした。それにしてもいい天気。まだ3月だが寒さは感じず、歩いているうちに汗ばんでいつの間にかコートを脱いでいた。

 

とあるレストランのトイレ。なんと日本の公共のトイレではおなじみの便座ペーパーがあった。こんな所で気を利かせるものがあるなんて。イラストによれば流すことができる(?)スグレモノらしい。表記がなぜかトルコ語(分かりません)。トルコ語読める方、解読オナシャス。 

絶賛工事中(※当時。現在は終了済み)のポチョムキンの階段近くにあった、それっぽい階段。モノホン代わりにこれを下から眺めて見たつもりにすることに(泣)

 

階段付近の噴水。冬なのでストップ中。

洒落た通りも。近くに有名な四つ星のホテル・モーツァルトがある。

公園にはこんなテラスも。コスプレ撮影に良いかも(笑)

 

オデッサにはこんな遺跡も市民に公開されている。 

下にはなぜかコインとお札が落ちていた。なんでお金を入れるのかは意味不明。何かご利益でもあるのだろうか。 

 周りにはガラスで守られていた。(それにしてもここからどうやってお金を落とすんやろう…笑)

もう一度昨日見た場所と同じ所からポチョムキンの階段を見た(懲りない)。やっぱり少ししか見えねえ。そしてこの日も同じ事を考えている人たちが同じようにこの隙間から必死に階段を見ようとしていた。

 

 落書き。直訳すると「部屋から出るな、間違いを犯すな」。書いた本人に何があったのか。

 

こちらも落書き。なんかポエムのようだ。

たとえ(わたしたちの)つながりを運命が引き離したとしても、

たとえ全ての過ちをおかしたとしても、

知っておくれ!わたしは常にここでキミを待っていることを

キミの笑顔はどこへ消えてしまったのか….

そして、わたしたちは再び同じカフェで平穏を取り戻し、

小さいテーブル、暖かいプレード、ワイン、ろうそくと同時に…

わたしの記憶のみが、良き日々を願っているのだろうか?

だがそれでも、わたしは辛抱強く(キミに)会えるのを待っている… 

手書きなので一部読み取りに苦労した部分はあるが推測をしながらって感じ。史料を読み取ってるみたい。

これはどうやら何らかの事情で彼氏と離れ離れになってしまった彼女が悲しみと寂しさを思いっきりぶつけた詩のようだ。ここに書くということは相当辛かったのだろう。心中お察しします。

この日のオデッサの港。快晴だったので遠くまで見渡せた。

次の日は、いよいよキエフへ移動。オデッサ最終日。