2019年5月2日、3日 タイからミャンマーへ メーソート→ミャワディ

アジア諸国

バスの出発時間は8時30分。出発したのは7時ぐらい。メーソート行きのバスは第3バスターミナルから乗車することができる。このトゥクトゥク兄さんには最後までお世話になった。彼は道中バスターミナルに向かう途中で屋台の焼き鳥を「バスの中で朝食として食べて」と買ってくれたり、乗り場まで連れて行ってくれた。

バスはまだ姿は見えなかったので、中の店でお菓子や飲水を買うことに。この時、時刻は8時になろうとしていた。すると、突然ターミナル内で音楽が流れ始め、同時に周辺にいた人々が一斉に立ち上がり、歌い出した。この音楽というのは、つまりは国歌だ。実はタイでは毎日朝8時と夕方の18時に国歌がスピーカーから流れ、国民はそれに従い、立ち上がる義務があるらしい。その時も、乗客はもちろん周りの店の店員やバスの運転手も全員微動だにせず、国歌が終わるまで直立不動の姿勢で立っていた。そしてそれに戸惑う私。当時はどう対応したらいいか分からず、一緒になってジッと棒のように立ち止まった。終了後、何事もなかったのように周囲の人々は座ったり作業に戻っていった。タイの国家へ敬意を示す姿勢をリアルで見た瞬間だった。

8時20分頃、ようやくメーソート行きのバスが到着し、乗車が開始した。私も乗ることにし、ついにトゥクトゥク兄さんとはここでお別れをした。感謝の意を可能な限り示そうと力いっぱいに手を振った。

足元はとても広く。乗り心地も良い。タイのバスのクオリティの良さがよく分かる。

無料で水がプレゼントされる。比較したらダメなんだが、日本のバスではそれすらない。

8時30分、バスは時間通りに出発した。メーソートまでの所要時間は約7時間。一般的に長時間とも言える旅路だが、それに慣れてしまい、距離の感覚が麻痺している私にとっては大した距離ではない。出発から2時間ぐらいしたときに休憩所に停車し、ちょっと早いお昼ごはんを食べることに。

休憩所の食堂。開放感抜群だが、暑さも尋常じゃなかった。良かれと思って設置された扇風機から送られる熱風がさらに蒸し暑さを助長していた。

タイ最後の食事にグリーンカレー。料金は160円ぐらい。辛さはそこまで強くなく味も非常に美味しかった。食堂のおばちゃんの笑顔が素晴らしくとても癒やされた。タイに限らず、東南アジア諸国の人々は本当に笑顔でこちらも何だか楽しい気分になる。そういえば、ゴールデントライアングル行きのバスが見つからずしょんぼりしていた時、トゥクトゥク兄さんが「大丈夫だ。ほら、笑って笑って!タイでは暗い顔は似合わないよ!」と激励してくれたことを思い出した。

休憩所の外

今回乗車したメーソート行きバス。バス会社はグリーンバス。

休憩が終わった後、いよいよ長時間の移動時間が始まった。メーソートまで後5時間。またまた険しい道を超えることになった。もちろん、高速道路のような道を渡ることはあったが、今回も、山沿いの不安定な道を通り、バスは幾度か「船酔いキラー」とも言える独特の揺れを引き起こした。私の場合は、こうした乗り物の揺れが好きでむしろ心地よさを感じていたので楽しんでいたが。

こうした山を登りながら走行していたので、所要時間がかかるのも納得がいく。

時々出現する平坦な道。しかし束の間。

こんな断崖絶壁のすれすれの道も。落ちたら間違いなく死が待っている。

午後13時ごろ、ようやくメーソートに入った。

案内標識にはメーソートとミャンマーとの国境の間にある「友好の橋」の案内が見えている。ミャンマー語表記がその近さを物語っている。

そしてバスはメーソートのバスターミナルに到着し、すぐに国境沿いに向かうミニバス乗り場に向かった。そこには超テンションの高いおっさん運転手がいた。彼に、「国境に行きたいんだけどここで合ってる?」と訪ねたら、「そうだ!合ってるよ!さあ、乗りな!」と良い、バックパックをバスの中まで運んでくれた。その中にはすでに乗客がいた。彼らは全員外国人でしかも皆欧米人だった。内訳はオーストラリア人女性、フランス人男性2人。彼らと一緒に話しながら、検問所まで移動した。フランス人男性の一人が語学オタクだったため、ロシア語を学生のときに学んだことを話すとものすごく喜んでくれ、少しだけロシア語でやり取りした。まさかタイの国境でフランス人とロシア語を話すとは…..

道中。ミャンマーから来たと思われる車が走っている。

話に花を咲かせている間に、バスは検問所に到着した。検問所前は人でごった返していた。メーソートもまた、国境付近とは思えない賑わいを見せていた。ここでオーストラリア人の女性とはお別れをし、フランス人2人と一緒にミャンマーに入ろうと約束をした。

この人混みなので当然出国審査は混雑していた。ようやく私の番になり、出国審査をするが、審査官からこんなことを言われた。

「あなた、昨日もタイ・ミャンマーの出入国をしましたね。タイ・ミャンマー間の移動はこれで2回目となりましたので、今日から一年間はその両国間の移動はできません」

外国人のタイ・ミャンマー間の移動は一年間で2回までと決まっており、私の場合はその回数制限を超えたので一年間は移動が不可能になったということだ。なのでその周辺地域を旅する方は事前にタイ・ミャンマー間の出入国についてよく調べてから計画を立てた方が安全であろう。

※追記 2020年1月18日

陸路移動制限はタイ側が行っているため、移動先はミャンマーに限らずラオスやマレーシア、カンボジアであっても移動回数が2回超えれば1年間はタイを拠点にした出入国は不可能になる。あたかもタイ・ミャンマー間の移動のみ制限されているかのような記述をし、読者に誤解を与える可能性があるため訂正しました。

出国審査完了後、フランス人コンビと合流し、いよいよ国境越えるために友好の橋を渡ることに。

橋からの眺め。

橋を渡るにつれてミャンマーが近づいていく。橋には物売りを始め、物乞いなども多くいた。観光客の移動が多いのを知っているのだろう。

橋の真ん中には多くの車やトラックが行き交っていた。

少々見えづらくて申し訳ないが、船に人が溢れんばかりに乗車しているのが見えるだろうか。これは間違いなくミャンマーからの密入国者と思われる。船に乗る人数からして、どう考えても上記が目的であるのは明確だ。単なる漁業の場合はこんな人数は乗らないだろうから。

タイ・ミャンマー間の国境付近では近年、こうしたミャンマーからの不法入国者の存在が問題視されている(ゴールデントライアングルの記事を参照)。おそらく、仕事を求めて自国よりも豊かなタイへ渡ろうと言う考えなのだろう。しかしその割には、セキュリティはガバガバで船での密入国を野放しにしている辺りは非常に理解し難いが、検挙が追いつかない程人数が膨れ上がって手に負えず、黙認せざる得ないというのが現状か。その点は今後、両国間の防衛上の問題として向き合う必要があるのかもしれない。

かといってこの船の移動を密入国と言い切ってしまっていいのかも些か疑問が残る。その乗り場までは行ってないので確かめようがないのだが、もしこの入国に関して詳しい方がいたら是非教えてほしい。

これもまた密入国者による船での入国なのだろうか。こうしてみると本当に後が立たないのが目に見える。

橋を渡り、ミャンマーinした後は入国審査のために審査室に入った。フランス人コンビとは終了後再度合流する約束をした、はずだった。ところが、前の人の審査に思っていた以上に時間がかかっていたらしく。自分の番になるまで30分ぐらいになってしまった。その時、たまたま隣にいたおじいさんに「どこから来たんだ?」と話しかけられ、「日本です」と返答したら、突然日本語で「日本から来たのですか!私少し話せるよ!」と喜びを隠さない様子だった。彼曰く、第二次世界大戦時の日本軍占拠時代に生きていた年配者の中に日本語が話せる人は少なくないらしい。彼もそのうちの一人だという。

話しているうちに自分の番が来た。一度タイ・ミャンマー間の入国歴があり、さらに渡航歴が少し増えてきたというのもあって不安があったが、何も問い詰められることなく無事入国は完了した。終了後、急いでフランス人コンビの元に向かったが、すでに二人の姿はもうなかった。周辺を探したがその二人どころが、欧米人の姿すら見かけない。これはつまり….

あっ、置いていていかれたな、これは

完全に置き去りにされましたわ。こんちくしょう。

二人のことは諦め、一人でミャンマーの国境の街ミャワディを散策することにした。まずはヤンゴン行きのバス乗り場を見つけるため、バイクタクシーを捕まえ、バスターミナルまで連れてってもらった。料金は3300チャット(230円ぐらい)。

検問所近くのミャワディ周辺。雰囲気はタイのメーサイによく似ている。近くに市場があるらしい。

この時点ですでに気づいた方のいるかもしれないが、今回私がヤンゴンに行くために国境を越えたのは、メーサイ→タチレクルートではなく、メーソート→ミャワディルートであることに違和感を持っているだろう。それにはやむを得ない理由がある。

実は、ミャンマー国内には外国人が陸路で移動できるルートは限られている。唯一、私たち外国人がタイからミャンマーに入国し、ヤンゴンやマンダレー、パガンなどの主要都市までバスで行けるのはメーソート→ミャワディルートのみであり、メーサイ→タチレク含むほかのルートでヤンゴンなどに移動することは現実不可能である(2019年5月当時)。ちなみにタチレクからバスで行けるのは北へ向かって153Kmにあるチェントンまでである。もし、タチレクなどの街から主要都市へ行きたい、という場合は空路を使うしか他はない。

上記についてはタイ出国前に事前に調べていたので、この事実はある程度は認識していたが、念のために入管に質問しても答えは同じだった。

少し話が逸れるが、2018年10月に日本人向けにビザ免除を試験的に実施するようになり、現在はビザなしで入国することが可能である。一年間という決まりだったが、最近その期間が2020年9月30日までに延長したらしく、さらにビザなし渡航のチャンスが増えたと思われる。しかし、気を付けていただきたのは、あくまでもこの免除は期間限定の上、突然変更される可能性も無きにしも非ずなのでミャンマーへの渡航を検討している方は早めに行動することをお勧めする。

バスターミナルでバスのチケットを購入後、出発時間が19時30分でまだ3時間ぐらい時間があったので、その周辺を散策したり近くのアイスクリーム屋さんで暑さを凌ぎ、運よくWi-Fiを拾うことができたのでブログで旅の状況を書いたりして時間を潰した。写真はバスターミナル近く。非常に静かだったが、野犬が多い。

野犬その1。

野犬その2。この3匹は特にけたたましく吠えていた。そのうちの一匹は溝に溜まっていた泥水を飲んでいた。他の東南アジアでも言えるがミャンマーは野犬が非常に多く、毎年多数の人が咬傷や狂犬病で命を落としている。

購入したバスのチケット。料金は13000チャット(922円)と距離の割にはとても安い。どの国でもやっぱり長距離バスの値段の安さは魅力的。ミャンマー語の形が独特で可愛い。

バスの待機場所。想像したのと全く違っていたが、そこも東南アジアらしい。待っている間、腕や足に10か所以上蚊に刺されてしまった。虫除けスプレーは十分にしたはずなんだが。。。デング熱のリスクがあるので刺されただけでは済まされないが、その時は忘れるように意識した。

19時ぐらい。いよいよ荷物の搬入が始まった。バックパックを預けた後番号札を受け取り、バスに中に入った。すると運転手が「パスポートを提示してください」と指示したのでしたがって渡した。そして「コピーを取るからちょっと預かるね」と言って持ち去ってしまった。信用してもいいかもしれないが、海外では貴重品を預けるとより一層不安が増す。だがそれは結局取り越し苦労でパスポートはちゃんと返却された。

タイに比べ、シートのリクライニングはお世辞にも良いとは言い難いが、金額を考えたら仕方がないか。

目の前の席は無駄に高く、しかも床がフローリングという謎仕様。

少し薄汚れていたがちゃんとブランケットが付いていた。

と思ったら、なんとモニター付きという豪華仕様。テレビにはアーティストのMVやドラマが流れていた。出発直前には、スピーカーから歌謡曲のような音楽が流れだした。一体何なんだこれは(笑)

今回利用したバス。

19時30分、定刻通りバスは出発した。乗客は私以外全員ミャンマー人だった。そのため、車内アナウンスはミャンマー語のみだった。しかのそのアナウンスをマイクで行っていたため、カラオケボックスみたいに声が響いていた。ヤンゴンまでの所要時間は約10時間。これも長距離の旅となる。

道中にいた黒の野犬。車が多く通る道路を横断しようとしていた。チャレンジャーやな君。

出発してから約2時間したとき、休憩時間が始まった。大衆食堂でミャンマー初の晩御飯を食べることに。この清潔でもなく不潔でもない素朴なこの雰囲気がたまらなく好き。

国境越えた後のご飯とビールは格別に美味かった。カレーのようなものは激辛だったがそんなことが全く気にならないぐらいに。素朴な味付けだったがとても美味しい。何より、ご飯をボウル一杯サービスしてくれるから最高。

休憩終了後、午前3時までしばらくバスが走る。だが、バスはなぜか所々に停車するので速度はそこまで早くはなかった。しかも思っていた以上に寝れなかった。

午前3時頃、再びバスは休憩所に停車し、休憩タイムに突入。

2回目の休憩所もレストランだった。このときはさすがに何かを食べようという気にならなかった。時間帯にもかかわらず、多くの客がいた。皆夜行バスの利用者だろうか。嬉しいことにここはWi-Fiがつながった。

お目覚めのコーヒータイム。一杯50円ぐらい。そして超甘い。写真下手くそ侍なので指が写ってますねすいません。これだけで充分甘いが、店員のおじさんはさらに「砂糖いるか?」と言ってシュガースティックを渡してくるのでミャンマー人の甘味に対する基準が日本人の常識をはるかに超えていると見た。

今回はここまで。次回はヤンゴン1日旅について書いていきます。