ということで、シーラーズ最後の日は念願のペルセポリスへ。
宿泊していた宿では独自にペルセポリスツアーをやっていた。値段は30ドルと割高だが、これが結構人気が高く早朝から多くの参加者がフロントで待機していた。宿の駐車場にはツアー専用のミニバスが停車していた。時間になると皆一斉にぞろぞろと動き出してバスに乗っていった。ツアーを利用するのは自分の性に合わないので当然使わない。一人でゆっくり見たいからね。
例の日本人男性は朝一にピンクモスクに並ぶといって出て行った。夕方に会う約束したが、それ以来顔を合わせることはなかった。8時ごろに自分も出発するために駐車場に停車していたタクシーのドライバーに頼んでカランディッシュ・ターミナルに連れて行ってもらった。ペルセポリスの行き方については少々複雑なのでまずはそこから書いていこうか。
①カランディッシュ・バスターミナルでマルヴェダシュト行きのミニバスに乗車(マルヴェダシュトまでの所要時間は1時間程。運賃は確か50000リアルで足りたと思う)
②マルヴェダシュトを降り、ペルセポリスタクシーに乗車(こちらも50000リアルだった)。
③到着
注意してほしいのは、ミニバスはペルセポリスまで停車してくれないこと。そのため、マルヴェダシュトでタクシーに乗り換える必要がある。それでも運賃は格安なのでとても良い。タクシーは屋根に「Persepolis」の看板が乗っている黄色の車体のものを利用すること。それ以外のものは利用しないように(自戒)。
午前6時半ごろに撮影。よく晴れている。絶好のペルセポリス日和。
マルヴェダシュト行きのバスはいとも簡単に見つけた。ドライバーが行先を大声で叫んでいたからだ。バスはオンボロでいかにも揺れそうな外見。ロシアのマルシュルートカでもまだましだぞ。乗客は割と多めだが、旅行者らしき人はいなかった。バスは予想通りよく揺れた。乗り物酔いする人は厳しいかも。
マルヴェダストに到着。停車場所はバスターミナルではない。そこにはペルセポリスに行く旅行者を待つタクシードライバーが大勢待機していた。ペルセポリスに行く人は大体近くのネクロポリスに行くため、ペルセポリス見学前に約束をし、同じドライバーに連れて行ってもらうことが重要。私はそれをしなかったので後程痛い目に遭うことになったのだが。
「Persepolis」と書かれた看板の黄色の車体のタクシーを捕まえて乗車。途中でほかの乗客が乗ってくることもあった。イランでは乗り合いタクシーは珍しいことではない。私の時は二人ぐらい乗車してきていずれも途中で降りて行った。マルヴェダシュトから走って15分。ペルセポリスに到着。その奥には遺跡が見えていた。そのドライバーとはここでお別れ。この時、このことを後悔することになるのである。
ドライバーはアジア人の男女を見つけて、「彼らは日本人だから話しかけてみなよ」と言って去った。言われた通り彼らに声をかけてみたが、「アニョハセヨ。あなたは韓国人ですか」と返ってきた。違うじゃねえか。イラン人にとっては日本人も中国人も韓国人も同じように見える模様。街中で「ニーハオ」と挨拶されるのも納得である。
入場料は外国人料金があるらしく合計で300000リアル(885円)もした。世界的に有名な遺跡にしては日本の美術館よりはずっと安いが、イランの物価を考えると少し高いよね。後で知ったことだが、かつては50000リアルで済んでいた時期もあったらしい。最近はインフレによる物価高で年々値上げ傾向にあるという。
ペルセポリスとは何ぞやと思う方もいらっしゃるだろうから、写真をお見せする前にペルセポリスについて簡単に説明をしたい。
ペルセポリスは、アケメネス朝ペルシアの都市の一つだった。紀元前518年にダレイオス一世によって建設され、以降首都に定められた。現存する遺跡は彼の時代に建設された宮殿であり、謁見の間や百柱殿などがあり、大規模だったとされている。バビロニアやエジプトなどの文化を多数取り入れていたことからアケメネス朝が文化面で寛容であったと言える。アレクサンドロス大王によって宮殿が焼失したものの、復興を遂げて存続していた。マケドニア朝の首都になって以来は衰退し、宮殿は廃墟となった。
アケメネス朝ペルシア時代の遺跡はほとんど残されていない。ペルセポリスの宮殿は現存するアケメネス朝時代の貴重な遺跡の一つであり、かつ高度な文化を築いていたことから世界文化遺産に登録された。
いざ入場。すでに円柱が見えている。
最初に見たときの感想だが、思っていたよりは広さは感じなかった。
入って早々、大物を発見。これはスフィンクスなのか。古代の遺跡とは思えないほど保存状態は良い印象。
先人の西欧の旅行者が残した落書き。19世紀、20世紀の人間によるものが多い。ペンではなく、石を削って書いているからたちが悪い。「ペルセポリスに来た記念に残そうぜ」的な発想だろうか。現在でも遺跡に落書きする輩はいるが、今も昔もやることは一緒なんだな。遺跡じゃなくてメモに書けよ。
言語は多種多様。ロシア語、英語、フランス語など。
こんなところにも落書きが。それにしてもこんな高さにどうやって書いたのだろう。
スフィンクスの顔は削れているが足、胴体はくっきりと残っている。よく見るとなぜか顔だけが不自然に損傷が激しい。
裏側のスフィンクス。こちらは顔も残っている。
この時、小柄な女性に写真撮影を頼まれた。
「もしかして日本人ですか?」またまた日本人とばったり。自分と同じ一人旅の日本人女性(以下ユウコさん)だった。せっかくなのでその方と一緒に見学することにした。意外といるもんだなあ。
客席と思しきものが。イベントとかやるのだろうか。
こう見てみると割とバラバラになっている気がせんでもない。
神殿の跡地が特によく目立っている。ツアー客も多し。
ここからしばらく写真が続く。
階級を示した彫刻。驚くほど保存状態がよい。人物の服装、顔などがはっきりと区別ができる。
こちらは別の場所の彫刻。一番上が王で順番に臣下、騎士、奴隷へと下になっていくのが分かる。
不自然に顔と頭部が削れている。下半身の状態はよい。
こちらも別の壁画。順番は全く同じ。下に行けば行くほど削れている率が高い気がする。風の当たり具合などの原因もあると思うが、 下の方が人の手に届くこともあり、先人が手に触れたことで起きていることなのかもしれない。あくまでも勝手な推測に過ぎないが。
外観から見た状態。こうした見ると風などお当たり具合による劣化は考えにくい。
ところどころに神殿の円柱だったであろう遺跡が無造作に転がっている。意図的なものなのか、そのまま放置しているのかは定かではない。
彫刻の一番下の部分。当然だが、奴隷である。彼らの髪形に注目。縮れ毛であることからアフリカ系ということが推測できる。
真ん中に不思議な空洞ができているものもあった。
神殿がもとからあった跡地だろうか。
当然だが、道は整備されていた。ゴミ箱も設置している。
この建物野中は博物館。入場料は150000リアル。ペルセポリスの入場料とは別途支払う必要がある。我々も一応見学はしたが、考古学的な史料が展示されていた。館内は写真撮影が禁止だったので残念ながら紹介はできない。
ペルセポリスは、多少山も登ることができる。上った先の景色は絶景だそう。そこで、我々も上を目指すべく上ることにした。
山道。ほとんど禿山だったが、道は割と整備されている印象だった。それにしても大きめのごみくずがところどころ山積みにされていた。
標高もそんなに高くないのですぐに行けると思ったが、いざ登り始めると意外とキツイ。
道中の景色。これでも見ごたえは十分にある。
ゴミ箱は設置しているが、肝心の道は整備されていない模様。
山頂に到着。すると、新たな遺跡に遭遇。
山頂からの眺め。こうしてみるとペルセポリスの宮殿も小さく見える。山登り(というほどではないが)の後の絶景とはこういうことだったのか。
山頂にあった別の遺跡。
天気が良かったというのもあり、歩いているうちに暑くなってきた。だがここはイラン。コートを脱ぐわけにはいかない。
まだ冬だったからよかったものの、夏になると地獄だろうなあ。40度越えが当たり前らしいし。
降りるときもまた大変だった。坂道は割と急で道路も実装されていないので転ばないように慎重に降りて行った。
ダレイオス1世宮殿に刻まれた楔形文字の碑文。解読した人はいるのだろうか。私はさっぱり分かりません。
天気が良くてよかった。一番のお気に入りの一枚。
ペルセポリスの見学後、ユウコさんとはここでお別れ。タクシードライバーとの約束があるらしい。
私も入り口に戻り、ドライバーを捕まえて次の遺跡ネクロポリス(ナグジェ・ロスタム)に向かう。ペルセポリスからは車で15分ほど。
ナグジェ・ロスタム到着。入場料は150000リアルだったはず。
ペルセポリス→ナグジェ・ロスタムのルートはスタンダードだそう。
ナグジェ・ロスタムはアケメネス朝の歴代の王の墓。右からダレイオス1世、ダレイオス2世、アルタクセルクセス(順番には諸説あるらしく、正確には分かっていないらしい)。一番右にはクセルクセス1世の墓もある。ダレイオス1世の墓には古代ペルシャ語、アラム語、アッカド語が刻まれているのだとか。
シャープール一世のレリーフ。こうしたレリーフが至る所にある。
これが誰かは分からない。ゾロアスター系の神様か。
ローマとの戦いを表したレリーフ。
ダレイオス1世の墓に刻まれている碑文。少し見えづらいがダレイオスのレリーフの横。言語は遠すぎて認識出来なかった。
左が王、真ん中にいるのはゾロアスター教の善霊アフラ・マズダ。これはどの墓も同じだった。
ダレイオス2世の墓だけ修復中だった。
ゾロアスター教の神殿。用途は不明だが考古学的に重要だとか。
ここでまた先ほどのユウコさんと再会。でもこのときは一緒に見なかった。
ここからは一人でじっくり見学。歴代の古代ペルシャ王の墓を間近で見られるほど感慨深いものはない。
見終わった後、待ってくれたタクシードライバーのもとに行き、マルヴェダシュトに向かう。しかしこの後、ちょっとした悲劇に襲われた。
このドライバーは割と話しかけるほうだった。しかも恋愛事情ばかり聞いてくる。「彼氏はいるのか」とか、「結婚願望はあるのか」とか。イラン人って本当に恋バナ好きだよね。なぜか。
マルヴェダシュトに到着。金額を聞いたとき、驚くべきことを言い出した。
「300000リアルだ」
おい、マジかよ高いな。それともこれが妥当なのか….?いやいや、最初のタクシーではそこまでしなかったぞ。
……やられたなこりゃ。ぼったくり確定。喧嘩を売るのもめんどくさかったのでしぶしぶ支払うことにした。あいたた。
みんな、タクシー乗車前は事前に値段交渉するんだぞ。たまに通用しないときもあるけど。
気を取り直してシーラーズ行きのバスに乗車。出発前にバスの前にいたおじさんからウエハースのお菓子を二つもらった。
しかし、バスは一向に出発しない。ドライバーに問い詰めると、「乗客がそろうまでは出発しない」そうだ。要するに、バスの席が埋まるまで出発できないということのようだ。日本だったら出発時間がきたら乗客の数関係なしに定刻通り出発するのだが、ここでは違う。時間指定はされていない。だからもし全員揃わなかった場合は永遠に動かないということになる。そのため、ドライバーが必死に呼び込みをしていたのも当然だろう。外に向かって「シーラーズ!シーラーズ!」と大声で叫んでいた。席が埋まるまで1時間半かかった。同時にそれぐらいの時間も待たされた。
シーラーズに戻り、宿に帰る。あの例の日本人の男性を探してみたがすでにいなくなっていた。残念。
外へ出ると、なんだか街の様子がおかしい。女性はみな全身真っ黒のヒジャブに身を包み、人通りも一気に増えていた。アザーンが流れていたのでおそらく大規模な礼拝なのだろう。
交通規制も激しかった。渋滞もひどく、警察官も急激に増えていた。これ本当に礼拝なのか。ちょっと物騒な感じはあったが、このときはまださほど気にはしなかった。
夕食で飲んだノンアルコール飲料。これでお酒を飲んだ気になってみた。
やっぱりイラン風ケバブは美味い。合わせて130000リアル(378円)は安い。やっぱりローカルレストランが一番。店主は英語通じなかったけど。
分かりにくい場所にあるローカルレストランは割と当たりが多い。下手に高くていいところに行くよりはいいかも。
出発前に宿にあるレストランでチャイをいただく。オレンジピール入り。おまけにおつまみとお菓子のサービスが付いていた。
これで150000リアル(430円)。
タクシーを呼んだ後宿を去り、カランディッシュ・バスターミナルに到着。
購入したテヘラン行きバスのチケット。すべてペルシャ語。バス会社はHamsafar。
時々趣味の悪いバスを見る。乗ったのはこれではないが。
22:00に出発。バイバイシーラーズ。