二日目。この日は念願のヴィリニュス大学での資料探しに行くことに。
朝食を作ろうとキッチンに向かったとき、ちょうどロシア人の家族が使っていた。キッチン自体は広かったので隣で共有することに。そのうちの一人である小太りの男の子はスキップしながら適当なハーモニカをふきながらキッチンにやってくるのだ(以下ハーモニカ小僧)。
このときのデザートにしたキウイのヨーグルト。なんとなく美味しそうだったのでワクワクしながら開けたが…
思っていたのと全然違うかった。
ウジュピス共和国周辺。この日は快晴だった。そのため、結構暑かった記憶がある。このとき長ズボンを履いていったのを激しく後悔した。
資料探しと大学巡りとタイトルには書いたが午前中はゲティミナス城を見に行った。一年前(もう一度言うが当時)に行けなかった名所なので念願が叶ったといってもいいだろう。
入り口の門。ここから坂道が続く。これが結構しんどい。暑かったのもあって余計に。
坂を上ってしばらくすると、お目当てのお城が見えてきた。いよいよ到着。
頂点から眺める景色はよい。こうしてみると結構近代的なビルが建っていたりしている。旧市街ヴィリニュスのもう一つの顔だ。
これがヴィリニュスの名所の一つであるゲティミナス城。ちなみに入場料を支払えば中にも入れる。
そして先ほどの景色の裏はこんな感じ。こちらは旧市街らしい風貌を見せている。まるで二つの性格を持っているみたい。左にヴィリニュス大学の展望台が見えている。
周囲には城壁らしきものもある。
別の角度からの眺め。
黒猫さん。若干にらみつけられているのは気のせいだろうか
道中の様子。こうしてみると結構上の方にあるのが分かる。
ゲティミナス城見学後、ようやく本日お目当てのヴィリニュス大学へ。
ヴィリニュス大学の歴史は1579年までさかのぼることができる(高等教育学校としては1570年からで、イエズス会の申請によって建設されたが、大学に昇格したのは上記の年である。)時のポーランド・リトアニア共和国の国王であったステファン・バトーリによって創設された。現在は学生数2万人を超えるリトアニアのマンモス大学であり、多数の学部学科がそろっている。日本からの留学生も在学しており、逆も然り。
一般の旅行者も学内に入ることができるが、その際に入場料が必要になる。学割あり。大学院の学生証を見せたら普通に入れた。
入り口にカッサ(料金所)があるのでそこで支払いとパンフレットの受け取り、有料スポットに進出した。
校内の中庭。大学構内にいるとは思えないぐらいに美しく、まるでどこかの宮廷の中で彷徨っているみたいだった。
校内の廊下も中々風情があってよし。最近流行の「インスタ映え」しそうな撮影スポットだと思う。
廊下の雰囲気が関学のそれにとても似ているのは気のせいだろうか。
振り子のようなものがある。これも何らかの研究対象なのだろうか。
ヴィリニュス大学には聖ヨハネ教会と展望台がある。ここも別料金だが入ることが可能。屋上まで上がるとこんな景色が待っている。ヴィリニュス市内を一望。
二枚目。すぐ下が大学。
内観も見学できる。本当に大学なのここ。
別のスポットでは天井もフレスコ画が描かれている。ぱっと見は美しいがよく見ると裸の男ばかりだったり。
別のモノクロのフレスコ画。これは『創世記』に登場する楽園をイメージしているのだろうか。
また、フレスコ画が描かれている場所として大学構内の本屋も見逃せない。写真をお見せしたいところだが、スマホの容量がオーバー寸前だったので撮れなかった。
ここはリトアニア国立王宮博物館。これは大聖堂のすぐ隣にある。リトアニアや王宮の歴史がよくわかる博物館となっている。歴史屋なら必ず訪れたいスポット。17世紀欄には自分の研究テーマに関わるので(17世紀はポーランド・リトアニア共和国だった。主に偽ドミトリー1世がポーランド側に帝位獲得の支援を要請していた時期に当たる)目に焼けつけた。ジグムント3世と偽ドミトリー1世の肖像画も載っていた。
博物館の中庭。クラクフのヴァヴェル城を彷彿とさせる。
こちらはリトアニア国立博物館。夕方だったのでこの日は見学せず。
自炊をするため自分の宿に戻ろうとした時、あるハプニングに襲われた。
信号待ちをしていた時、ある虫が寄ってきたので手で大きく払った。その瞬間。
チクっ
右の親指に何かが刺さったような感覚がした。そして一気に激痛が手に走ったのだ。かなり痛い。
そう、私が払った虫はミツハチだったのだ。手を振り払ったときにハチを刺激させてしまい、攻撃されたのだった。「すぐに冷やさないと!」と思い、近くのカフェのトイレに駆け込んで水で刺された親指を冷やした。Wi-Fiがあったのでハチに刺されたときの応急措置についてネットで調べた。書かれたことは一通りやったがそれでも痛みは治まらない。刺したのはハチだし、もし毒が回ったら今後の旅に支障が出てしまう。仕方がないので病院を探すことに。このとき、海外旅行保険に加入することの大切さを改めて実感した。
宿の近くに病院があることが分かったので歩いていくことにしたが、なかなか見つからない。その一方で指の痛みは治まる気配がない。人通りも少ないので道を聞ける人もいない。絶望したその時に、ある建物から男性が出てきた。ダメもとでその人に病院の場所を聞いた。
「この近くに病院があると聞いたのですが知りませんか?親指がハチに刺されてしまって病院を探しているのです。今も痛いのです。」
すると、男性(以下シマスさん)は「それは大変。この病院なら知ってるから一緒に行きましょう。」と言ってくれた。よかった。
その病院は意外と宿から距離があり、30分以上歩いて記憶がある。しばらく歩くと、病院に到着した。しかし、シマスさんは「着いたのはいいのですが、英語が分かる医師がいないのです。そのうえ、17時になると病院は閉まってしまいます。受付できるかどうかが分からないですね。」と不安を口にした。時計を見るともうすぐ17時になろうとしていた。これはやばい。しかしシマスさんは「受け付けてくれるかは分かりませんが、とりあえずあなたの状況を伝えてみますね」といい、受付でリトアニア語で説明をしてくれた。我々の不安は的中した。17時になるから本日の診察の受け付けは終了した、ということ。救急時以外は時間外の診察はしないようだ。「ダメでした、その代わりに隣の薬屋で痛み止めを処方してもらいましょう」とシマスさん。
できないことをぶつぶつ言っても仕方がないので薬を購入し、その場で飲んだ。5ユーロという別の意味で痛い出費だったが金額のことは言ってられない。シマスさんが薬の飲み方を説明してくれた。これで痛みが治まるかどうかは分からないがとりあえずピンチは脱出した。
「今日は本当にありがとうございました。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ところで宿はどちらですか?」
「ここです。Filaretai hostelというところです。」
「結構遠いですね。ここから歩くとなると時間がかかりますから、バスで行きましょう。運賃は私が出しますので気にしないでください。」
「あ、ありがとうございます」
この恩人シマスさんと一緒にバスに乗った。車内でしばらく会話をする。なんとこの方、日本に行ったことがあるという。「日本から来たのですね。実は私も前に東京に行ったことがあります」と話していた。偶然かどうかは分からないがこの人が日本と接点があると聞いて嬉しく思った。
目的のバスに到着した後、シマスさんは「せっかくだから宿まで送りますよ。」と言ってくれ、宿まで歩いた。到着後、恩人シマスさんとはここでお別れをした。「本当にありがとうございました。あなたのおかげで助かりました。」とお礼を言った後、シマスさんは「こちらこそありがとうございます。久々に日本の方とお話しできてよかったです。よろしければ私の携帯番号を教えますのでもし滞在中に何かありましたらいつでも電話してくださいね。できる限りのお手伝いをします。」。
最後に握手をし、シマスさんは去っていった。世の中捨てたもんじゃない。一人旅で何かあったときは自分から助けを求めないといけないということを改めて学んだ瞬間であった。
では今日はこの辺で。