2015年8月5日 ロシア・ウグリチ ロシア史上最大の悲劇の舞台 

ロシア

こんばんは、ネフスかやあいりです。

ジメジメする日が続いていますが、私はこの通り元気です。

「じゃあはやく記事を書けよボケ」と言いたいでしょうがどうか許してください。

さて、今日は久々に旅行記を書いていきたいと思います。

今日のテーマは、ロシアの街の一つであるウグリチです。

「ウグリチ?ナニソレオイシイーノ?」と思われる方は多いと思いますが、それもそのはずで、ウグリチは人口4万人程の小さい街であり、日本国内ではあまりその名は知られていません。

一見目立たないように見えますが、実はウグリチは長い歴史があり、ロシア史では重要な都市であったため、ロシアの中世都市群である黄金の環の一つとなっています。

ウグリチは私の研究分野に密接に関わるため、今回はフィールドワークを目的に行きました。

あまり知られていない都市ですので、まずはその概要から始めたいと思います。

ウグリチはヤロスラヴリ州の古都でモスクワから北200km程のところにあり、ヴォルガ川東岸に位置しています。見どころはこれから紹介していきますが、美しい教会や修道院がメインとなり、あとは博物館もあります。また、穏やかな街ですので、ヴォルガ川を眺めながらゆっくり散歩するのもアリです。

私はモスクワからマルシュルートカ(ミニバス)で行きましたが5時間程かかった覚えがあります。近いようで意外と遠いです。

そんなウグリチですが、実は変わったところがあります。

まずは市章に注目してください。市章にはナイフを持っているある少年が描かれています。これは世界的にも稀なケースでありますが、この市章にはある悲しいエピソードがありました。ここから少し歴史的なお話になりますが、辛抱して聞いてあげて下さい。

「ウグリチへようこそ」と書かれている下の絵がウグリチの市章です。

実はこの少年、あのイヴァン雷帝の息子ドミトリーでした。彼は後継者として白羽の矢が立ちましたがわずか9歳で亡くなりました。しかし、彼の死には謎が多く、後の動乱時代の発端に繋がることになりました。

雷帝はあらゆる資質を有した有能な人物でしたが、唯一世継ぎには恵まれませんでした。そのため男子後継者が生まれるまで何度も再婚をし、7番目の妻マリヤ・ナガヤの間にようやく男子が生まれますが、それがドミトリーでした。 

雷帝の死後、彼の三男フョードルが帝位に即きましたが、フョードルは生まれつき知能に問題があり、病弱であったため義兄のボリス・ゴドゥノフを摂関にしました。フョードルは政治にはほとんど関わらず、代わりにボリスが事実上実権を握っていたのです。

ボリスは非常に有能な人物であったため、ツァーリになるには十分な素質を有し、この時から彼には帝位に対する野心があったとされています。しかし、彼には唯一欠点がありました。リューリク朝との血縁関係がなかったのです。この時ロシアでは帝位継承の際は世襲制に基づいていたため、帝位に即けるのはリューリク朝の人間だけでした。

この時フョードル1世には後継者がいなかったため、ドミトリーがリューリク朝唯一の帝位継承者となったわけですが、帝位を狙うボリスにとって彼の存在は邪魔だったのです。

1584年、ボリスはドミトリーとその母マリヤをウグリチへと追いやります。そして、1591年にドミトリーは変死をしてしまいます。死因には様々な説がありますが、ナイフで遊んでいる途中で誤って喉を切ったとされています。

1598年にフョードル1世が世継ぎを残さず死去してリューリク朝は断絶し、ボリスが帝位に即きましたが、同時にドミトリーの死を巡って憶測が飛び交うようになります。中にはボリスがウグリチに刺客を派遣してドミトリーを殺害させたという説もありました。

そして、「ドミトリーは生きている」という噂が広まり、ドミトリー皇子を名乗る人物が台頭していきます(ボリスはこの人物を偽ドミトリーを呼びました。偽ドミトリーは1世、2世、3世と相次いで出現しました)。

このように、リューリク朝唯一の帝位継承者であったドミトリーの死は当然ロシアに混乱をもたらし、動乱時代の引き金となりました。ロシアがロマノフ朝に変わった後、ドミトリーは列聖され、17世紀後半に彼が亡くなった現場に教会が建てられました(血の上のドミトリー皇子教会)。これで彼がウグリチの市章になっているのも納得がいきますね。

血の上のドミトリー皇子教会。もちろん中に入れますが、撮影の際は100ルーブルを支払う必要があります。

皇子ドミトリーの銅像。足元の下にはナイフがあります

ここまではドミトリー皇子のエピソードについて話しましたが、実は、これはドミトリー皇子に限った話ではありません。

ウグリチでは、この地の公が後継者を残さないうちに亡くなったり失踪したりするケースが相次いでいたようで、その他には事故や精神異常を起こしたりするなどの不可解な事件が多かったとされています。これを見ると「呪われた街」のイメージがかなーり強く残りますね。ですが、街自体は小規模ながらも綺麗でのんびりしていましたが(笑)

*   *   *

少し概要が長くなってしまいました。概要といってもほぼドミトリー皇子の話ばかりでしたが、彼のエピソードはウグリチの話をする上では外せないのです(笑)

あまり堅苦しい話ばかりでは面白くないので、そろそろ旅行記に入って行きましょうか。写真付きで書いていきます。

モスクワ発ウグリチ行きのバス。要予約だったので出発の前々日にネットで席を確保し、バスの停車場所も確認。乗車前にバスの運ちゃんが予約者の名前を呼び、座席を指定してから乗る。バスはほぼ満員。が、しかし、なぜか私の名前がない!おかしいと思い、運ちゃんに「なぜ名前がない?予約したはずだ。」と問い詰めたら、「何のことかね?」という始末。そしてなぜか「まあ、なんだか知らんが、もういい!乗れ!」と言われたので乗車。なんとか乗れたのは良いが、複雑な気分であった。

隣に停車した市バス。なんか見たことある外観だなあと思ったら神戸市バスとよく似ている。

この日はよく晴れて、しかも暑かったのでサービスエリアでアイスを食す。食べづらいのが難点だが非常に美味かった。

モスクワから出発して5時間でウグリチに到着。写真はウグリチの中心地。この日は人が集まっていたが何がやっていたのかはよくわからない。

ドミトリー教会近くの川。非常に美しい。

中心地から離れた通りはだいたいこんな感じ。超田舎

宿を探していたらなんと、こんなところに日本を発見!沖縄本島という惣菜屋さんだった。宿周辺にスーパーはないし、お腹が空いたのでここで謎のおかずを購入して夕食にした。店に入ると、寿司やお惣菜等がならんでおり、店員のお姉さんが暇そうにしていた。購入の際は日本っぽく割り箸を付けてくれた。おかずは細かく刻んだにんじんとタマネギだけであり、マスタードに酸っぱい何かで味付けがされていた。味は謎だったが普通に美味しかった。ザワークラウトに似た感じ。が、しかし、食べているうちに恐ろしいものを見てしまった。おかずに髪の毛が入っていたのだった。。。。さすがに気持ち悪かったので食べるのを断念。幸い腹を壊すことはなかった。

一軒目のホテル。値段も安く、清潔であったがシャワーと朝食なしだったので非常に不便ではあった。部屋の写真は撮るの忘れました。

ウグリチの地図。上にЗолотое кольцо(ザロータイェ カリツォ)と書いていますが、訳すと黄金の環。これを見た途端、黄金の環の古都に来た!という実感が湧いた。 今日はここまで。次回は続きでウグリチ二日目について書きます。それでは。​