2015年8月23日 ルーマニア・ブカレスト3日目 ブカレスト満喫の日 

国民の館 ルーマニア

2日目。本来ならブカレストは23日に抜ける予定だった。

が、実は前日に朝食の途中、急に腹を壊したのだ(ちなみに腹痛と朝食は無関係)。そのため、ブカレスト滞在を1日延長することになったのだ。

原因はよく分からない。ただ、この時は旅の後半。きっと疲れが溜まってたのかもしれない。この日は正露丸を飲んで何とかしのいだが、それでもトイレを往復する回数が多く、かなり困った。

それでもブカレストの主要名所はめぐっときたかったので我慢した。てか、腹痛を忘れようと必死になっていたという方が正しいかな。

ウニベルシタテ駅周辺の公園。イベント会場にもなっているようだ。

 

中心地には大きな噴水があった。その奥には大型ショッピングモールがあり、ファストファッションで有名なH&Mも入っていた。

この時、ブカレストで最も有名なあの名所に向かっていた。それはルーマニアでは知らない人はいないが最大の負の遺産になっている国民の館である。

国民の館とは、あのルーマニア最恐の独裁者であるニコラエ・チャウチェスクが建設したものである。彼は悪名高い独裁政権を形成した人物である。1980年頃になると、個人崇拝や強硬手段を用いた政治体制などによって国内外から批判が殺到し、1989年のルーマニア革命によって妻のエレナとともに暗殺された。国民の館は彼の個人崇拝の象徴ともいえる。チャウシェスク夫妻の暗殺の現場がテレビなどで大々的に報じられたのを覚えている人もいるだろう。(このときまだ私は生まれていなかったが。。。)

実は彼が残した負の財産はこれだけではない。それは、現在でもルーマニア国内で社会問題となっている野犬である。

ルーマニアを訪れた方はご存知だと思うが、野犬の数が非常に多いことでも知られており、ブカレストだけでも約6万匹以上いるんだとか。ヨーロッパの首都の中ではかなりずば抜けている。最近は咬傷による死亡事故を受け、野犬駆除などの対策で数は減少しているものの、問題自体の解決には至っていない。

本来、ルーマニアでは番犬として犬を飼うのが習慣とされていた。そのため、以前は一軒に一匹犬がいたんだとか。ところが、チャウシェスク政権になってから国有地のブロック団地を大量に建設をし始めた。そして国民は今まで住んでいた家から追い出され、団地に住むことを強制されたと同時に飼っていた犬も手放すことを余儀なくされた。そのため、放された犬たちは野生化し、繁殖を重ねて増加していったのである。それが野犬問題のきっかけとなったのだ。そこから咬傷事故による死傷者の増加、狂犬病の流行などの深刻な問題まで発展していったのである。

かつては「東欧のパリ」と呼ばれるほど繁栄していたブカレストだが、今となってはその面影はあまりない。。。

ちなみにこれは余談だが、同人ゲームである東方プロジェクトシリーズ、『東方妖々夢』に登場するアリス・マーガトロイドの道中曲『ブクレシュティの人形師』の「ブクレシュティ」は「ブカレスト」をルーマニア語で発音したもの。ブカレストは英語である。

国民の館に向かう道は統一通りという。周辺はいたって普通の公園。

 

噴水から見る国民の館。段々と近づいてきた。

 

 ここからでも十分に迫力がある。

 

そして到着。これがチャウシェスク負の遺産、国民の館である。中には入れるらしいが、この日は休館日だったので残念ながら入れなかった。内観ツアーに参加することで入ることができる。 こうしてみると存在感抜群だが、同時に共産臭も半端ない。

 

団地付近。どことなくロシアに似ているが、東欧諸国は大体こんな感じ。

 

国立教育大学?多分。

 

ノルド駅周辺。かなり独特で共産的な雰囲気を一番に感じることができる。トラムとトロリーバスの電線が複雑に絡んでいるところがまたいい。

 

 ノルド駅。GARAはルーマニア語で駅を意味する。

 

と思ったら中心地に行くと整備された西欧的な街並みがあったりもするのだ。ブカレストとはなんともカオスな都市である。

 

こんな立派な高級ホテルまである。

 

芸術作品かな。だまし絵的な。割とよくできている。

 

政府機関の建物らしい。

 

オブジェ。

 

ブカレスト国立劇場で三島由紀夫の映画が上演されるらしい。映画なのか?ルーマニア語分かんない。。。

 

 カロル一世像

 

 やっぱり共産色が強い。道路ではタクシーの数が異常に多かった。

 

そしてなぜかトルコのムスタファ・ケマル大統領の胸像まであるし。その後ろには中級ホテルの世界的チェーンであるRAMADAホテルが見える。

 

でも、メトロのホームには天井がなかったりするし。

 

下は普通に綺麗なのにね。不思議な街だ。このとき凱旋門に向かっている途中。

凱旋門は実はここブカレストにもあるのだ。パリを意識して建設された模様。「東欧のパリ」という名誉な名称が付けられたのも分かる。だがしかし。。。。

 

 なんということだ。。。。修復工事中だった。。。。無念!

せっかく来たのにこの仕打ちはないだろう。。。。

気を取り直して、次はチャウシェスクの墓を見に行くことにした。ここで驚いたのが、彼の墓があるのはいたって普通の墓地だということだった。元大統領なのに普通の国民と同じ場所に墓地を作ったなんて。。。ちなみに一般人も見に行くことができる。場所は中心から少し外れにある6番地区である(セクトル6)。

 

チャウシェスクの墓へはこのトラムに乗っていく。

 

トラムを乗っているとあたり一面集合団地が広がっている。ここも実はブカレストの見所の一つである。ブロック団地フェチにとってはたまらない場所である。

しばらくトラムに揺られること20分。墓地に到着。写真を撮るのを忘れたがいたって普通の墓地だった。

墓地の中に入ると早速墓を発見した。

 

これがチャウシェスク夫妻の墓である。ここには妻エレナも埋葬されている。元大統領の墓とは思えないぐらいにシンプルだった。

 

面白いのは、表記がPRESEDINTELE、つまり「大統領」であること。このとき一緒に来ていた方が教えてくださったのだが、彼によると今のルーマニア人にとってチャウシェスクは「過去の人」つまり一歴史上の人物に過ぎず、そのため「大統領」という表記がされているんだとか。これを聞いて私は納得した。最初は、彼らにとってはチャウシェスクは決して許されない人物で大統領としても認めたくないはずなのにと疑問に思ったのだが。 わずかだが、ろうそくと花束が添えられていた。我々は最後に合掌をしてから墓を後にした。

 

 座るところのないバス停の椅子。もはや椅子として機能していない。

 

しばらく散歩するとトラムの終点駅に到着した。旧車両から新車両まで停車していた。 ここから中心地に戻った。

 

 教会。ルーマニアは正教会である。外も暗くなり始めていた。しばらく腹が痛いことを忘れていたが、このときになって再びぶり返し始めた。胃がキリキリとして痛い。

旧市街には薬局があったので胃腸薬を処方してもらうことに。同伴していた方はルーマニア語少しとドイツ語を知っていたので症状を翻訳してくださった。そして下痢止めと胃痛を抑えるタブレットを処方してもらい、その場で飲んだ。これで少しでも治まるといいが果たして。

 

 旧市街には正教会もある。ここはブカレストでも共産政権以前の面影を残している数少ない場所である。

 

 旧市街案内地図。文字小さすぎ。

多分ドゥンボヴァイツァ川

ドゥンボヴィツァ川?でいいのかな。

 

そのすぐ近くには本の屋台があった。後ろの方なんかかなりギリギリのところに置いていたので少しハラハラした。下手したら川にドボン。。。

 

レストランやカフェが並ぶ石畳の通り。めっさブレている。

 

夜でも活気がある。若者が多い感じがした。この辺になると野犬の姿はほとんどない。

さすがにこの時間になるとお腹が空いてきたので近くのレストランで食事をした。腹は壊していたがお腹は空いていた。

最初に決めていたお店で(結局やめたが)は、少年少女の集団に声をかけられた。夜にも関わらずなぜか子供だけで行動していた。もちろん彼らはルーマニア人ではなく、ロマ人(※)である。ルーマニアに限った話ではないが、ヨーロッパ諸国で夜に子供だけで行動していたらほぼロマ人だと思ってもよい。現地の子供は基本的に大人の付き添いなしで夜に外出することはないから。

最終的にはラ・ママというルーマニア料理店で食事をすることに。ルーマニアワインで乾杯した。このとき食べたのは子牛のシュニッツェルとグヤーシュだった。あれ、ルーマニア料理というルーマニア料理がない。。。実はここルーマニアでは文化面で周辺諸国の影響を受けており、料理も例外ではなかった。シュニッツェルとグヤーシュがあるのもそのためである。

※かつて「ジプシー」と呼ばれていた人たち。近年では差別用語にあたるため、本サイトでは「ロマ人」と表記する。

 

夜になると各地でライトアップされる。

 

ブカレスト最後の夜は活気に包まれてながら締めくくられた。

旅行記ブカレスト編はこれにておしまい。翌日はドラキュラの街があるブラショフへ。