2019年12月28日 ロシア・ペレスラヴリ・ザレスキー二日目前半 修道院巡りとピョートル大帝の船

ロシア

※今回は写真、記事も盛りだくさんなので時間のある方のみお読みください。

ペレスラヴリ・ザレスキー二日目。外に出ると驚きの光景が。

一晩で雪景色になっていた。と言っても薄っすらだけど。ようやくロシアの冬らしいものを見た気がする。

昨日歩いた並木通りもこの通り。

建物の壁に飾られたアレクサンドル・ネフスキーのイコン。前回の記事にも書いた通り、彼は列聖されている。

アレクサンドル・ネフスキーの胸像と救世主顕栄大聖堂も雪化粧をしている。

雪とネフスキー

こちらもアレクサンドル・ネフスキーのイコン。この街では彼のイコン等の宗教画を至る所で見ることができる。

ものすごい変わった博物館があった。「狡猾博物館」?それにしてもこの街、こうした小規模でかつちょっと変な博物館が至る所にあり、他にも「お茶の博物館」や「アイロン博物館」、「クワス博物館」など枚挙に暇がない。時間が許せばコンプしてみたいとは思う。

最初に訪ねた聖ニコライ修道院。黄金の玉ねぎ頭の屋根が良く目立つ。そういえば、修道院とか教会巡りはかなり久々だ。3年前の大学院修了前の東欧旅以来かなあ。

庭の池も完全に凍っていない。

聖ニコライ修道院入り口。こうしてみると正教会独特の重厚さがある。中に入ったが写真撮影はできなかったので外観のみ。もちろんアレクサンドル・ネフスキーのイコンもあった。

18世紀に建設された模様。

ゴリツキー・ウスペンスキー修道院が見えたが先にピョートル大帝の船博物館に行くので後ほど。

また博物館発見。今度はラジオ博物館。

ここからピョートル大帝の船博物館へ向かう。が、これが結構の距離。気が遠くなる。

道路沿いをまっすぐ歩けば辿り着くのでそのまま歩いて行くものの、案の定時間がかかる。Googleマップを見るとまだまだ先で絶望。結局徒歩は諦めて数少ない車をヒッチハイクすることに。車はすぐに捕まり、中年太りの男性が運転する車に乗って博物館に連れて行ってもらうことにした。後部座席には袋いっぱいに詰め込まれた大量の冷凍ペリメニとヴァレーニキがあった。体型を見て納得(失礼)。

車で走って3分もしないうちに到着。ピョートルの船が見たい人は徒歩でなく車かタクシーで行こう。写真の前にあるのはピョートルの船博物館の駐車場で船の形の建物はカフェと本屋になっている。カッサ(チケット販売所)は道路をまたいでその手前にある。更に奥に見えるのはプレシチェーヴォ湖。かの若きピョートル大帝が遊戯艦隊を建造して訓練を行った湖としても知られている。その船の実物がこの博物館に展示されているらしいのだから驚き。

ピョートル大帝像。見た感じ若々しいし遊戯艦隊を建造したときの姿かな。

ピョートル大帝の方尖塔。つまりモニュメント。

博物館は6つぐらい分散されて存在している。そのうちの一つはペレスラヴリ・ザレスキーの漁業に関する展示物がある。写真はメインの方でチケットはここで買える。ちなみに上記で道路前にカッサがあると書いたがこれは入場料であり、博物館の見学費用は別に支払う必要がある。

遊戯艦隊で使われていた船の一つかな、少し小さめで可愛らしい。でもこれはまだ序の口。

プレシチェーヴォ湖で造船に関わる若きピョートル大帝。この絵は書籍で何度か見たことがある。

船の内部。小型ながら中々本格的だ。

船の模型。

ピョートルの胸像。ペテルブルグで似たようなものを見た気がする。

18世紀初頭に発行された硬貨。

ピョートルはペレスラヴリの市長に残された大型船とガレー船の保護を命じた。この勅令はおそらくレプリカ(コピー)だと思う。

これは執務室だと思う。その後ろにはピョートル本人と一つ右の方には彼の母であるナターリヤ・ナルイシキナと一番右は父でツァーリだったアレクセイ・ミハイロヴィチ帝。左はおそらくだけど、息子のアレクセイだと思われる。アレクセイとは仲違いしていたはずでは。。

当時の詩人で劇作家のイヴァン・ミハイロヴィチ・ドルゴルーコフ。この博物館の礎を築いたらしい。

ピョートルのポートレート。これも結構よく見る。ポートレートの数が半端ない。

1709年7月8日のポルタヴァの戦いを描いた絵画。

ペレスラヴリの市章。このデザインは今も変わらない。

一件目が見終わったので2件目へ突入。

敷地内にあったショボめの撮影スポット。ピョートルの顔のところにはめて撮影ができるから是非(執筆者本人はやってない)。

2件目はポートレートなどのピョートル関連の絵画が中心。この3つはすべてピョートルのポートレートだが、やっぱりどれも見たことがあるのもばかり。表情、見た目は大差ないが作者ごとに描かれ方が微妙に違うあたりは興味深い。

胸像。

ピョートルと妻のエカテリーナ1世。彼女は元々マルタという名前であり、リヴォニアの農民だったが大北方戦争の際にロシア軍によって捕虜となり、後に寵臣のメーンシコフを通じてピョートルの手に渡った。

博物館というより美術館寄りだった。恥ずかしいことに、出口と間違えて事務室に入ろうとしたらしくスタッフのおばちゃんに「ジェーヴシカ(若い女性を呼びかける時に使われる)!出口はそっちじゃないよ!」と注意をされた。

3件目に移動。いよいよメインであるあの大型の遊戯艦隊の船とご対面。

入り口にあったピョートルの木像。

これがこの博物館の目玉である船、その名は「Фортуна」。Фортунаは幸運を意味する。この船は遊戯艦隊の大型船の中でも現存する唯一のものとなる。当時のまま保管されている。木造だがかなり状態が良い。大型船の保護を要求したピョートルの勅令は今もなおこうした形で守られているようだ。

お馴染みの双頭の鷲。

船の内部。

反対側から。遊戯艦隊時代の船を間近で見れるなんで夢にも思わなかった。

4件目。多分これが最後になる。だが、こちらはピョートルからは少し離れる模様。

4件目はペレスラヴリ・ザレスキーの漁業にまつわる博物館となっていた。プレシチェーヴォ湖では漁業が盛んだったようだ。今はどうなんだろうな。そう考えるとあの魚をモチーフにした市章のデザインは納得がいく。

博物館敷地内。

これでピョートル大帝の船博物館の見学は終了。彼の遊戯艦隊時代とペレスラヴリ・ザレスキーとの関わりを深く知ることができて有意義だった。

ちなみにこれは誰も得しないどうでも良い余談になるが、私とピョートル大帝は誕生日が一緒なのだ。こんな奇跡あります?

次回ペレスラヴリ・ザレスキー最終回ではピョートル大帝の船博物館周辺、アレクサンドル・ネフスキー博物館とその魅力についてたっぷりと書いていこうと思う。

今日はこの辺で。Спокойной ночь!