2019年12月31日〜2020年1月1日 ロシア・カザン1日目 ロシアでの年越し

ロシア

2019年12月31日、大晦日を迎えたこの日からカザン編が始まる。

ロシア通の人は知っての通り、カザンはロシア連邦のタタールスタン共和国の首都である。タタールスタン共和国はロシア連邦の地域管轄区分の一つである沿ヴォルガ連邦管区に属する。共和国と名乗っているが正式な独立国家ではない。名前の通り、タタール人(ロシア全体ではロシア人の次に人口が多いらしい)が多くタタール文化の発祥地である。しかもロシア国内の中ではカザンは大都市であり、観光地としても盛んなイケてる街なのだ。

午前4時頃だったかな。モスクワから12時間の列車の旅を終え、ようやくカザンに到着。外に出てまず驚いたのがモスクワと違い、周辺が銀世界だったこと。そして雪の量が尋常じゃない。でもそんなに寒さは感じなかった。

このサイトを見ている人はすでに知っているかもだけど、モスクワからカザンの行き方について改めて書いていく。

カザンの行き方

①カザンスキー駅から行ける。駅名の通りだから分かりやすい。地下鉄コムソモーリスカヤ駅を降りて徒歩2分ぐらいで行ける。案内も出てるから迷うことはない。

②カッサ(チケット売り場で)「カザーニ」といえば通じる。料金はプラッツカルタ(3等)が約1800ルーブル(約2600円)、クペー(2等、4人部屋、通常コース)が約2500〜5000ルーブル(約3600円〜7250円)、リュクス(1等、2人部屋)が約16000ルーブル(約23203円)。ただし、これはあくまで目安であり、時期と時間帯によって変動はあるので参考程度に。検索はロシア国鉄(РЖД)のHPでできる(https://www.rzd.ru/)。ネット予約も可能だが、海外発行のカード決済は不可らしい(筆者確認済み)ので外国人はネット予約できない可能性がある。そのため、利用する列車を決めたら早めに駅に行ってチケットを購入しておこう。特に3等は安さ故に人気が高くすぐ満席になるのでご注意。

③本数は、日によって変わるがだいたい一日5〜7本ぐらい出ている。自分のスケジュールに合わせて決めよう。

④所要時間は約12時間。夜に出発すればだいたい朝に着く感じ。少し長く感じるが旅慣れた人にとっては些事だろう。

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到着が4時20分と早すぎた模様。外は暗いし宿もおそらく閉まっているだろう。取りあえず駅でじっと待つしかなかった。寝るのはさすがに危険すぎるし、かといって軽食を買うにもまだ店が開いてないのでネットサーフィンをしたり、この時Twitterで話題になっていた大塚明夫の声優の記事を読みながら暇を潰した。

午前9時ぐらいにようやく明るくなり、そろそろ宿も開く時間なので駅の外へ。明るくなってから外を出てびっくり。本当に銀世界だ。雪がほとんどなかったモスクワ周辺との違いは何なんだろう。大陸性気候特有のものなんだろうか。

川も見事に凍っている。この上を歩いて移動できるのでは。

宿近くにあった市場。よく見たらコーランのようなものが売られていた。ここカザンはムスリムが多い。宿はこの近くにあった。宿泊の手続きを終わらせ、部屋に入る。8人部屋には私以外に4人止まっており、その内の一人はまだ寝ていた。物音に気を遣いながら荷物を置こうとしたがバックパックを持った時に手を滑らせてしまい。彼女を起こしてしまった。やべぇと一瞬冷や汗かいたが怒られることはなかった。実は今回のカザン編ではこの彼女との関わりが大きく占めることになる。

まだ朝食を食べていなかったので早速街に出てレストランを探すことに。

まだ昼前だというのに誘惑に負けてビールを頼んでしまった。昼ビールの背徳感は旅ならでは(?)。注文したパスタとビールを一人で楽しんでいたその時、ある中年男性が「やあ、僕も一緒していいかい?」と声をかけてきた。特に断る理由はなかったので、「どうぞ」と言って向かいの席に座らせた。

最初はどこから来たとか、何気ない話から始めたのだが次第にその男性はとんでもないことを言い出したのだ。「今日から君は僕の娘だ、どうか僕の娘になっておくれ」と。話に聞くと、彼は数日前に娘を亡くしたらしく、ついに私に対して「僕の娘だ」と言い始めた。これに対しては同情するし、何とか彼を慰めたが絡みがエスカレートしてきた上、号泣しだす有様。さすがに相手するのに疲れてきたのでウェイターを呼んで引き離してもらった。ホッとして食事を再開。店を出るときには、泣き疲れたのか彼はビールを残したまま寝ていた。

店を出た後、早速カザンの定番スポットであるカザン・クレムリンに向かう。幸い宿からは距離が近く徒歩で行くことができた。

しばらく歩くと、コバルトブルーの特徴的な建物が見えてきた。これがカザン・クレムリン内にあるモスクだ。実物を見るのは初めてだったので興奮が隠し切れなかった。遠くに見えている2020のモニュメントが年の瀬を感じさせる。ちなみにカザン・クレムリンは世界遺産に登録されている。

まさか年末にカザンに来るとは夢にも思わなかった。思い付きで決めた旅先だったが正解だったようだ。

カザンはロシア国内でも屈指の大都市なので地下鉄もある。

こちらは入り口。夜になるとライトアップされるのか。クレムリン内は無料で開放されている。

クレムリンからカザンの街が一望できる。奥にはカッチカチに凍ったヴォルガ川が見える。

こちらもライトアップされる模様。デートスポットにいかが。

これがカザンを象徴するクル=シャーリフ・モスク。かつてカザン・ハーン国によって建設されたがイヴァン雷帝のカザン侵略の際に破壊され、モスクとして2005年に再建された。一見近代的に見える外観なのはそのためである。早速中に入るとしよう。

こちらは入場料が必要となる模様。値段は忘れた。中は幾何学模様で飾られたモスクらしい内観となっている。

模型。かなり精巧に作られている。

これはコーランかな?

写真では人は写っていないが後に礼拝が始まった。アザーンのようなものがモスク内に響いた。本格的なものを聞くのはイラン旅行以来だ。

ドームに描かれた幾何学模様が息を飲むほどの美しさだ。イスファハーンの寺院を思い出す。

もちろん正教会の大聖堂だってある。このクレムリン思っていた以上に広い。この中には博物館があり、タタール人にまつわる歴史や民族、文化に関する展示がされていた。もちろん見に行った。

右にタタール語、左にロシア語で「あけましておめでとう」。

タタールスタンの歴史博物館入り口。

凍っているヴォルガ川と冬らしくどんより曇ったカザン。この時気温は氷点下を下回っていた。確か-10度ぐらいだった記憶がある。それに加え、強めの風が吹いていたので体感温度はさらに低いと見た。凍死するかと思った。いや、これが真のロシアの冬なのだ。ここは喜んで強烈な寒さを楽しもうではないか。我が故郷ではこんな経験ないぞ。

さすがに長時間外歩き続けるのはキツくなったので、クレムリン内のカフェで小休憩。普通のコーヒーに加え、タタールスタン名物のお菓子チャクチャクを初体験。この時はチョコがかかったやつを注文したが、普通は何もかかっていないノーマルタイプがスタンダード。このお菓子は揚げ菓子に蜂蜜を絡めただけのシンプルなものだが、これが病みつきになるほど美味いんだ。しかも安い!カザンのお土産のド定番となっている。

夕方になったころにはイルミネーションがライトアップされ始める。派手さに欠けるもののやっぱり期待を裏切らない美しさだ。この時時間はまだ16時だ。新年まであと8時間。

モスクも夜になると、昼間とは違う顔を見せてくれる。大晦日に見れて本当に良かった。

こちらは政府機関だそう。それにしてもデザインが独特でかなり個性的。

宿近くまで戻り、夕食の場所を探す。近くにハラール専門の食堂があったので入ろうとしたその時。その中にいた青年たちが通りを歩く私を見て窓をノックをした。「一緒にケバブ食べようぜ!」という合図をしたため、中に入って彼らと合流をした。全員タタール人だ。4人とも若い男性だった。せっかくなので一緒に夕飯をすることに。

2019年最後の食事はタタールスタン名物のトクマチ(でいいんかな)というスープとパンをいただいた。ハラール専門店でお酒はなかったので紅茶で乾杯。

追加で注文したシャウルマ。ケバブみたいなもの。超絶美味かった。

この時、カザン・クレムリン近くで年越しをすると言ったら彼らも「偶然だな!俺らもそうしようとしていたんだ!せっかくだから一緒に行って新年を迎えないか?」とまさかのお誘いを受けたので待ち合わせ時間を決め、一緒に行くことにした。

彼らと一旦別れた後、宿に戻る。部屋に入ろうとしたその時、偶然同室の若い女性と目が合った。彼女は「はーい!もしかして朝に来た人?どこから来たの?え、日本から来たの!?すごいわ!私はインディラよ。よろしくね!」といきなりテンション高く自己紹介をしてくれた。この女性こそが、朝起こしててしまった人である。そしてカザン滞在中はずっと彼女と一緒に過ごすことになる。彼女はタタール人でアリメチエフスクというタタールスタン共和国内にある町に住んでいるらしい。今回は一人旅でカザンに旅行で来たらしい。

しばらく部屋で雑談をした後、インディラから「ネフスかや、よかった私と新年のパーティーに行かない?」とのお誘いが。しかし「ごめん、実は先約があるんだ。」と断る。そこで思いついた。「実は別の人と新年を迎える約束してるんだけど、よかったらインディラも一緒にどう?彼らにはちゃんと説明するよ」と提案をしてみたら「いいわよ!一緒に行こう!」とあっさり承諾。彼らにインディラが一緒だということを連絡。彼らは車で宿まで来てくれた。インディラは「私は準備があるからネフスかやは先行ってていいわよ」とのことだったので先に車で待機している彼らと合流した。彼らは「女の子が来るらしいな!美人か?え?」と質問攻めをしてきた。呆れる私。そしてインディラは遅い。待つこと20分でようやくインディラが来たのでパーティー会場へ出発。

到着したのはヴォルガ川を渡ってすぐ近くの会場だった。そこには虹色に輝くクリスマスツリーが夜空を照らしていた。車から降りた後、突然彼らが雪を投げてきた。唐突に雪合戦が始まった。それに私も応じたが走った時に盛大に滑り、尻餅をついてしまった。これがかなり痛い…恥ずかしながらもインディラに抱えられながら会場に向かった。慣れないことはするもんじゃないなあ…

会場には大勢の人が集まっていた。そこでは新年を祝うダンスをする人や熱唱する人はもちろん、アーティストが来て歌を披露していた。新年まであと1時間を切った。あともう少し。

ヴォルガ川の上で新年を待つ人たち。私のテンションも上がってきた。

そしてその時はやってきた。新年まで10分を切ったところでロシアの年越しお馴染みのプーチン大統領の演説が流れ始めた。動画でしか見たことなかったあの演説、あの演出をこのロシアで聞けるとは…!これは夢なのか!

プーチンの演説が終了後、鐘の音が鳴り響き、そしてロシア国歌が流れる。国歌が流れた瞬間周辺にいた人々は一斉に歓声を上げ始めた。そして私の隣にいたインディラも大声で「ウラァーーーー!!ウラァァーーーーー!」と叫ぶ。私も一緒になって叫んだ。国歌が終わった後に時刻は0時になった。2019年は終わりを告げ、2020年を迎えた。私にとって2019年は仕事が変わったり、旅をしたりと変化が大きい年だったが悪い一年ではなかった。

2020年。本来だったら東京でオリンピックが開催され、華やかな一年になるはずだった。そしてこの会場にいた人々も今年はいい年になるだろうと誰もが思っただろう。これがまさか新型コロナウイルスに支配されるとは…2021年こそはコロナも収束していい年を迎えたいものだ。

新年を祝う花火が上がる。派手さはないが、こうしてロシアの新年は私にとっては決して忘れられない思い出として刻まれるだろう。

本日はここまで。次回は新年編の続きをお送りする。

ではまた。