2019年12月27日 ロシア ペレスラヴリ・ザレスキー一日目 いざ、アレクサンドル・ネフスキーの故郷へ

ロシア

昨年末も10連休が取れたので旅先を4回目のロシアに決めた。嘆かわしいことに実はロシアに来たのは4年ぶり。ガチのロシアクラスタ大失笑不可避。

今回10日間訪れたのはモスクワとペレスラブリ・ザレスキー、アレクサンドロフ、カザン。モスクワは今回で4回目となるが観光はほとんどせず、他都市に向かう際の中継地に過ぎない。期間は12月26日~1月5日。「えっ、なんで26日飛ばして27日から旅行記書くの?」と思う人もあるかもしれないが、この日はほとんど移動だけだし、わざわざ旅行記にする必要がないという判断から。でもせっかくだから少しだけ前日の写真も公開する。

今回利用した東京発モスクワ行きのアエロフロート。実は直行便初めて。大半の乗客はトランジットだった。

無料配布していたсмокваというフルーツ類をシロップに漬けてペーストしたお菓子。甘酸っぱいが癖になる。こんなサービスありましたっけ?

べラルースキー駅に向かうために利用したアエロエクスプレス。2階建ては初めて見た。

べラルースキー駅前。なんかここ4年で綺麗になった気がする。気のせいか。

この長ったるいメトロのエレベーターも本当に懐かしい。

まあこんな感じで26日はほぼ移動だった。なので本記事の本題は今から書くことにしよう。

ペレスラヴリ・ザレスキー行きのバスがあるとされるバスターミナルに向かうため早朝に宿に出る。長時間のフライトで体も疲れていたはずだが同室のおっさんが一晩中咳き込んでたせいで一睡もできず、寝不足の状態での出発となった。咳がひどいときに相部屋利用すな。

これ実は朝8時の外の様子。日本では信じられないがロシアの冬の朝は日が昇るのが遅い。

バスターミナルがあるホヴリノ駅に向かう。ホヴリノ駅は2番線(緑色のやつ)の終点駅であり、シェレメチェボ空港の近くなので空港行きのバスも出ている。

ホヴリノ駅を降りるとすぐそこにバスターミナル(Международный автовокзал Северные ворота)がある。チケット売り場に向かい、空席があることを祈りながら終点がヤロスラヴリ行きのバスチケットを何とか購入した。ペレスラヴリ・ザレスキーにはその途中で停車するらしい。料金は460ルーブル(700円ぐらい)やったかな。ペレスラヴリ・ザレスキーについては詳しくは後程説明していく。

私が乗ったのは11:30発ヤロスラヴリ行き。ヤロスラヴリ行きのバスは2時間に1本、スモレンスク行きは1、2時間に1本出ている。そして驚いたことにサンクトペテルブルグ行きもある。あたりまえだがこちらは夜行バス。黄金の環の諸都市に行きたい人はこのバスターミナルを使用すると良い。ちなみに4年前にウグリチに行った時もこのバスターミナルからだった。

朝食も済まして暇だったのでバスが来るまで外で粘ろうと思ったが、雪無いくせに寒いのですぐに断念。

1出発の10分前になってようやくミニバスが来たので早速乗り込む。シートベルトの着用しなかった場合は1000ルーブルの罰金らしい。ロシア運転荒い人多いからね、この張り紙は理解できる。

11:30定刻通り出発する。そこは本当に良きロシアンスタイル。最近できたためか、近代的で綺麗なバスターミナルだった。

ペレスラヴリ・ザレスキーは同じ黄金の環の都市でもセルギエフ・ポサードやヤロスラヴリ、スズタリと違って日本ではあまり知名度は高くない。だが、行先として検討している人もいる可能性もあり、情報を探しているかもしれない。そういうもの好きな人がいることを前提に、改めて行き方を案内していく。(そもそもこのブログを訪れる人はロシアに関心のある人しか来ないか)

バスターミナル名:Международный автовокзал Северные ворота(国際バスターミナル北門)

① モスクワ・メトロ2番線 ホヴリノ駅で降り、「Дыбенко 7」と書かれた出口の方を歩いていけば辿り着くことができる。すぐ近くなので迷うことなく行けるはず。

② 北門の1階にチケット販売所(кассаと書かれている売り場)で終点ヤロスラヴリ行きのバスチケットを購入する。クレジット利用可能。

      

出発から3時間半でようやくペレスラヴリ・ザレスキーに到着した。だが、バスが停車した時、私は到着したことが分からなかった。最初はなんか妙な田舎町に停車したなあ、と思ってた程度で降りなかった。その時、運転手が焦って「もう着いたよ!」と教えてくれたおかげでここがペレスラヴリ・ザレスキーであることをようやく理解できた。

バスターミナルちっちゃっ!これは分からんわ…..

ほんで近くには何もないし…

バスターミナルから宿までは距離があったので停車していたタクシーに声を掛け、宿へ向かった。今回利用した宿もホステル。外国人が少ないためか、案内のビラもスタッフもロシア語オンリー。10万年ぶりにロシア語使った気がする…(ロシアクラスタやめろ)

今回利用した宿の入り口近くにあった売店。「酒類とつまみが買えるぞ!」と喜んで店内に入ったら店員に止められ、「この店で買い物をするには利用料を払ってください」と注意された。どうやら宿泊料金とは別にこの店の利用料が発生するらしい。うそだろ….正確には覚えていないが多分500ルーブルぐらい払った気がする…

黄金の環の諸都市の市章と地名を表した地図。黄金の環(Золотое кольцо)とは、中世期に歴史、文化面で最も繁栄を遂げた都市が環のように点在していることから。今は首都であるモスクワもそのうちの一つ。こうしてみると結構あるね。機会があったら全部巡りたい。

宿のおばちゃんが地下の部屋に案内してくれた。コモンスペースに各部屋があり、そこではバルティカ9番を片手におじさんがくつろいでいた。申し訳程度に冷蔵庫があるだけ。

寝室。写真では分からないがベッドは8台ぐらいあり、同室者は誰一人いなかったのでほぼ一人部屋状態。満室でパンパンでかつ騒がしいモスクワの宿とは一変、人がいない静まり返った空間だった。

気が付けば時間は15時を過ぎていた。ロシアの冬は日が暮れるのが早いので暗くならないうちに軽く散策。哀愁の漂う並木通りが味を出している。木の下の方を白く塗っているのは何のため?

雪はなかった(!)が道路は僅かながらも凍結していた。気温は氷点下だったから当然か。

この看板は黄金の環の証でもあるのか。ウグリチでも同じものを見た。見ての通り、ペレスラヴリ・ザレスキーでの主な見どころは聖堂や修道院がメインとなる。旧市街地のように名所が一か所に集中しておらず一つ一つ離れた場所にあるため距離があるのは難点。だが、地図で表しているように、名所は一本の道路に沿って並んであるので距離はあるものの迷うことはない。

この町を訪れて最初の感想だが、思っていたよりはこじんまりとしており、外国人は一切見かけないし現地民も少ない印象。ちょうどモスクワなどの人が密集している場所に辟易していたところだったのでこれぐらいが丁度良い。のんびりした地域での旅も悪くない。

今回、なぜペレスラヴリ・ザレスキーを旅先として選んだかというと、実はこの街は知っている人は知っていると思うがロシアの国民的英雄として長く愛されている、アレクサンドル・ネフスキーが誕生し、洗礼を受けた故郷であるからだ。学部時代に西洋史研究でこの人物について触れたことがあるため、この街は旅先としてずっとマークしていたが、他国に浮気し始めてからは行きそびれてしまった。そして、ようやくこの地に足を踏み入れることとなった。

ペレスラヴリ・ザレスキーは12世紀半ばにユーリー・ドルゴルーキー公によって建国。ペレヤスラヴリ公国(当時はそう呼ばれていた)の首都として繁栄していた(というより野心の強いドルゴルーキー公がその様に見せたという説もある)。ドルゴルーキー公の死後はその勢力は減退してモスクワ公国の一部に組み込まれていしまい、さらにはタタールの襲撃によって幾度も破壊されるなどの苦難の危機を何度も経験したが再建された。その地でかのアレクサンドル・ネフスキーは1221年頃に誕生し、洗礼を受けたのである。

アレクサンドル・ネフスキーは知っての通り、1242年の氷上の戦いでドイツ騎士団を打ち破ったことで非常に名高い人物であり、それがロシアで「国民的英雄」として称えられる所以である。その偉業によって列聖され、修道院や聖堂などの彼の名を取ったものが生まれていった。さらにはエイゼンシュテインによって映画化されている。こうした華やかな功績の一方でロシアの各公国に侵入し、襲撃していたモンゴル帝国軍に対して忠誠を誓い、利用した一面もある。さらにモンゴルとの関係を巡って弟のアンドレイと対立し、追放するなどのお家騒動も起こしている。

モンゴルとの関係があるため、研究者の間ではネフスキーの「英雄像」を巡って様々な議論がある。研究の進展によってはその辺も変化するのだろうか。今後が楽しみだ。

ここは学術サイトではないし、これ以上書き出したらキリがないので歴史的な話はこの辺にしておくとする。

左がアレクサンドル・ネフスキーの胸像、その右奥にあるのがネフスキーが洗礼を受けたとされる救世主顕栄大聖堂だ。ペレヤスラヴリ公国の建国と同じ年である1152年に建てられており、この街で最古の大聖堂となる。今はペレスラヴリ・ザレスキーのシンボルの一つとなっている。中に入ろうと思ったが残念ながらドアに鍵がかかっていた閉まっていた。

ネフスキーは1220年に誕生し、1263年に亡くなっている。

抱神者シメオン教会(17世紀頃建設)を見つめるネフスキー。

「1220年5月30日、公の居城の近くの聖堂であるここでロシアの偉大なる将軍であるアレクサンドル・ネフスキー公が生まれた。」

聖堂の周辺にはこうした類似の建物を多く見かける。

救世主顕栄大聖堂のすぐ隣には先述した抱神者シメオン教会がある。

教会のお店。入り口によくある、イコンなど正教会関連のグッズが販売されている店がある。せっかくなので入ってみた。

入り口はもちろん教会関連の販売店だったがそのさらに奥にはアトリエがあった。

アトリエの目の前に堂々と立つアレクサンドル・ネフスキーの胸像。生誕800年の記念碑。これは非常に感無量だ。

その入り口に入ると、海外や写真などの芸術作品が展示されていた。そこにいた案内人(以下セルゲイ氏)に色々説明をしてもらった。彼はプーシキンの絵を中心に描いて活躍している画家。作品の中にはアレクサンドル・ネフスキー関連のものもあったので、「これ、アレクサンドル・ネフスキーですよね」と言ったら驚いた様子で「そうですよ!でもなんで知っているのですか?日本でも有名?」と聞いてきた。「日本ではそこまで有名ではありませんが、私は大学でロシア史を専攻していて彼についても触れたことがあるのでもちろん知っていますし、功績についても存じております。」と説明して納得。それからはついネフスキーについてド下手くそなロシア語で熱弁してしまったのである。彼とその息子さんの作品はあったのだが、なぜか写真を撮るのを忘れてしまった、すまない。

雪無いくせに氷点下4℃まで下がりやがった。

宿近くにあった映画館。

疲れてレストランを探す気力もなかったので宿の前にあったピザ屋でピザを買ってРижскоеビールを宿で買って晩酌。それにしてもこの部屋Wi-Fiつながらねぇ。

今日はここまで。次回はペレスラヴリ・ザレスキーを一日満喫したことを記事にしていく。(やっぱり自分の畑内のことを書くの楽しいなあ)