2019年8月14日 フィリピン・マニラ最終日後半 バセコ後半と帰国まで

アジア諸国

前回は現地のアルシャヘドがバイクでバセコを案内してくれた。バイクでの案内が終わり、彼らの家であるインターネット屋の中に入らせてくれることに。2階に上がると、彼の従妹である19歳ぐらいの少女二人と母親、赤ん坊が笑顔で出迎えてくれた。もちろん、この日本から勝手に来た意味不明な女に興味津々だった。家の中は非常に清潔だった。

彼らが生業としてやっているこのネット屋について聞いてみると、経済的事情でスマホを持てない子供や若者の利用客が多く来るようだ。他にも同様のお店があるように、ネット屋は一種のスラムビジネスとして成立している模様。そのため、この波に乗る為にわざわざスラム街に来てネット商売をする人もいるんだとか。確かに、私が来たときも多くの少年少女がFacebookやYouTubeを見たり、オンラインゲームを夢中になって楽しんでいた。2階にあったデスクトップのPCやテレビがあるぐらいだからきっと儲かっているに違いない。

従妹とアルシャヘド。こんなイミフな日本人に付き合ってくれてありがとう。

アルシャヘドと親戚の赤ん坊と。

彼らからは日本のことについて興味津々に質問してきたが、その中に紛れ込んで「ボーイフレンドはいるの?」というフィリピン恒例の質問が飛んできた。息をするように聞いてくるんだよね本当に。いないと返したら、揃って目を見開いて「ええー、嘘でしょう!」と。ごめんなさいね。

気が付けば2時過ぎていた。今日の夜に日本に帰るからリサール公園に行くと言ったらアルシャヘドが「じゃあ俺の友人の車で行こうぜ」といい、下に降りて彼らの車に乗り、従妹とお別れして出発した。

出発前に撮影したバセコ。あまり良くはないとは分かってるがもう少し探検したかったなあ。

フィリピンでは日常茶飯事だが、渋滞がとにかく酷い。空腹と疲労でぐだーとしていた私の横でアルシャヘドの友人の一人が動画を取り始めた。私がやめてくれといってもお構いなし。まあいいや。そして皆揃って相変わらず赤い唾をペットボトルに吐き出す。その中身はなるべく直視しないようにした。

渋滞のせいで一時間もかかったじゃないか。ようやく到着したリサール公園。マニラ市民の憩いの場になっており、カラオケでフィリピンソングを選曲した時にも必ず映像に登場する。

リサールかと思ったら違うかった。

この人は16世紀のラプラプ王だね

これがこの公園の目玉と思われる記念碑。この辺は撮影スポットになっていた。この時もフィリピン人はもちろん、韓国人も集まって記念撮影していた。

ホセ・リサールの殉教。

リサールの処刑を表現した銅像。各国旅して何体もの銅像を見てきたがここまで処刑場面を表したものは初めてみた。

この広場の名前は前述通り「リサールの殉教」。殉教は本来はキリスト教においては信仰にすべてを捧げて命を終えることを意味する。リサールはフィリピンの独立運動に全力を尽くした後に流刑となり、最後には処刑された。それでも彼はフィリピンの未来のために己の信念を貫き、散っていった。「殉教」は彼のそんな生き様を表すのに最も相応しい言葉なのかもしれない。この広場の名称からはフィリピン人のリサールに対する最大の敬意を感じた。

他にも、リサールにまつわる数々の銅像を見ることができる。

中国庭園もあるらしく中に入ることもできる。

孔子像。

元町の中華街でよく見るあれ。フィリピンにいることを忘れそう。

蒸し暑いマニラだが、ここはなんだか涼しい。

少し休憩をし、アルシャヘドとおしゃべりをする。その時にある若い男性がこちらに話しかけてきた。どうやらNPO法人のスタッフらしく、スラム街といった貧困地区に住む子供たちの支援をしている団体だそう。しばらく話を聞くと、フィリピンの国旗のキーホルダーを差し出した。一個47ペソ(100円)でそのお金は支援金になるとのこと。ある商品を購入しその売り上げを支援金にするというよくある手段だ。手作りらしい。見た目が可愛らしいので購入した。その法人が本物であることを願って(疑うなよ)。

購入したキーホルダー。

気が付けば3時過ぎていた。空腹もそろそろ限界に近付いてきたところで、アルシャヘドと駐車場に戻ることに。その時だったが、幼い子供の群れが私にところに走ってきた。スモーキーマウンテンの時の経験があり、100パーセント物乞いだろうなと思ったが、案の定「マネーマネー」とせびってやがった。当然アルシャヘドも「絶対にやったらダメ」とのこと。「ないよそんなもの。意味ないからあっちに行きなさい」と言ったら物乞いの子供集団は一目散に去り、これを見たアルシャヘドから「いいね!」と謎の褒め言葉をいただいた。

彼らと別れる前に、近辺の食事処を教えてくれと言ったが皆口をそろえてジョリビーしか薦めてくれなかった。ジョリビー以外ないんかい。

彼らと別れ、ようやく食事にありつけた。ジョリビーのすぐ近くにあったイナサルでシシグを食べた。イナサルはジョリビー同様フィリピン人が大好きなファストフードの一つ。鉄板焼きの料理が特徴的。安いのはもちろん(そのためいつも混んでる)、何よりこの店の最大の魅力はご飯が無限におかわりできるという神のようなサービス。店員に言ったらバケツのようなものを持ってきてお玉一杯のご飯を乗せてくれる。すばらしい。たまに何も言わずに勝手に乗せてくるときもあるが。ちなみにイナサルもジョリビー系列の店らしい。ジョリビー強い。

時刻は午後4時。マニラに滞在できる時間も少なくなってきた。そこで最後の訪問場所として自然史博物館に行った。豪勢な外観だが入場料は国籍問わず無料。ただ、17時で閉まるので駆け足にはなったが少しだけ紹介する。

生命の樹と呼ばれるこの博物館名物の名所。インスタ映えするということで人気らしい。この外見だから映えもくそもないんだけどね!

それにしても中々凝ったデザインだなあ。最近できたらしい。

写真撮影する人やくつろいだりおしゃべりする人もいた。まるで公園。こういう空間がある博物館って中々珍しい気がする。

建築物にばかり魅了されて生物の展示一切見ていない人。

唯一撮っていたのがこれという。なぜサンディービーチだけ写真にしたのかが不明。

これもあったわ。

でもなんだかんだと言って閉館までいた気がする。ここはフィリピンの自然史にかかわる展示が盛りだくさんなので関心がある人には楽しいと思う。無料なので是非。

タクシーを呼ぶ前にリサール公園を見納め。

マカティに戻り、こちらも見納め。

イナサルあった。

みんな大好きジョリビー君の人形。嫌でも街中で見るやつ。彼らはこれが可愛いらしい。うん、かわい…い?

どこ見とんねん。

宿に戻って荷物を取りに行き、空港に向かった。ただ、気がかりなことがあった。この時、台風が日本に直撃しようとしているらしく、帰れない可能性が浮上してきた(去年の二の舞か….!)。

幸い、私が乗車する大韓航空の仁川行きはまだ飛んでいる模様。問題は仁川から大阪行き…

23時半頃、マニラを出発。今回の旅はいつもと違って危険と隣り合わせだったが、刺激があって楽しめた。

大韓航空の事だからどうせビビンバだろうなと思ったら案の定だった。7年ぶり(ロシアホームステイの帰りの便)に食べることになるとは。

仁川に到着したのは早朝5時ぐらい。あまりにも暇なので寝たりスマホゲームをしたり過ごす。欠航が出ていないかを電光掲示板を頻繁にみるが、この時点では大阪行きはまだ大丈夫そう。名古屋は死んでたけど。写真は大阪行きの便に乗る人たち。信じられないぐらい少ない。当時、韓国国内で不買運動真っ最中の時でありその影響で日本に行く人が少なかったと思われる。

幸い、大阪行きの便には乗ることはできた。強風やばかったけどね、子供が叫びまくってた。ジャンボ機だったんだが、真ん中の座席はスッカスカだった。

大阪には何とか到着し、無事帰国はした。はいいが、さらなる問題が浮上。台風で電車が止まるかもしれないとのことだった。何とか間に合って家まで帰れたが少しでも時間がずれていたと思うとゾッとする。

フィリピン編旅行記はこれで終了。最後まで読んでくれてありがとう。

次回は年末年始のロシア編を書いていこうと思う。