2019年5月4日 ミャンマー・ヤンゴン ゆったり一日ヤンゴン巡り

アジア諸国

5月4日。昨夜ビールを飲みすぎたので二日酔いが心配だったが、酔いは完全に冷め、早く起きることができた。この日はヤンゴンの郊外を環状線で巡ると決めていた。今に限ったことではないんだけど、無難な観光地だけを巡る旅にも飽きていたのでこれぐらいが丁度いい。

良き朝晴れ。景色がちょっとアレだけどこのいい具合にごちゃごちゃした感じが個人的には好き。

宿を出て早速バスに乗車してヤンゴン駅に向かう。この時、昨日シュエダゴン・パゴダで会ったミャンマー人の青年(以下ジョンさん)にアテンドしてもらうことに。

バスは意外ときれいだった。しかも安い。渋滞がヤバすぎて到着が遅れた。

ヤンゴン・セントラル駅に到着。ミャンマー最大の鉄道駅。19世紀後半にイギリス人によって建設された(だから建物が洋風)が日本軍によるビルマ侵攻の時に撤退したイギリス人によって破壊。その後立て直して1996年に完成した歴史ある建物である。それにしても結構デカイ。

ミャンマーの鉄道の路線図。赤線部分が環状線。それ以外にもマンダレー行きなどの長距離の路線もある。

上から見た線路。

ホームの様子。売店やインフォメーションもあった。後者には日本の『地球の歩き方』の地図の一部があった。

あと野犬の数も半端ない。写真に写ってるのは3匹だけだがそれ以外にも線路や他のホームにも何匹か彷徨いていた。

ミャンマーの国花であるパダウというお花。4月ごろに咲くという。いい匂いがする。日本でいう桜のような存在だね。至るところで売られている。女性たちはこの花を髪飾りにするらしい。ジョンさんが買ってきてくれた。もちろん髪に付けた。

これは今回私達が利用した列車。少しボロい。

別の列車。これ実は….

JRの旧車体だった。バスと車だけでなく、不要になった古い電車もミャンマーなどの東南アジア諸国に輸入され、こうして現役で活躍しているのだ。鉄オタ達よ、君達の楽園はここにあり!

車内は窓全開だからまだマシだがとてつもなく蒸し暑い。申し訳程度に扇風機が設置されているが全く役目を果たしていない模様。

車内には売り子が頭に商品を乗せて売り歩いていた。パダウをはじめ、水やお菓子、おもちゃやガラクタみたいなやつなどを販売していた。

電車は出発したが、速度は超遅い。歩いたほうが早いんじゃないかというぐらい。でもあらゆる景色が見れるのでそれはそれでいい。タイミング的に写真を撮れなかったが、洗濯物を線路に干している光景をよく目にした。あと、どの国にも言えることだが、線路付近はスラムのような貧困層の家が多い気がした。

電車の切符。ミャンマー語だけなので全く分からない。

ジョンさんがミャンマーのウイスキーが飲める場所があるから一旦降りようと言って降車した駅はこちら。Hledan駅。この地区は若者が集まるスポットらしく、中心地にはショッピングモールがあるらしい。日本で言う新宿みたいな感じ?

この線路を渡り、駅を抜け出す。工事中なのか、レンガが山積みにされていた。ここからウイスキーが置いているレストランへ向かう。

Hledanは若者スポットと聞いたが駅周辺はそんな感じはせずのんびりしていた。

ここはミャンマーウイスキーを楽しんだレストラン。大衆食堂みがあるがそこがいい。メニューがミャンマー語表記のみだったのでジョンさんに注文してもらった。タイでの事件があったので一応ピーナッツアレルギーのことも伝えてもらった。

このサラダみたいな料理の名前は分からないが、辛さがクセになる。

東南アジア旅始まってからずっとこればっか食ってる気がする。無難だからね、仕方ないね。

ミャンマーウイスキー初体験。味は思っていたよりの濃厚で香りもよい。あまりの旨さに昼から飲んでいるという罪悪感も薄らいでいく(アカン)。でも安全面はちゃんと気をつけている。

ボトルは意外とカッコよかった。お土産確定。

少しほろ酔いになったところで店を出て周辺をちょい散策。日本の幼稚園バスが市バスに生まれ変わっていた。「幼児バス」の表記がそのままなのは笑った。

周辺も人通りは多くない。こんな場所をただ散歩するのも悪くない。

ほろ酔い加減が冷めたところで移動再開。次は終点である、Hlawga駅に向かう。ここまでは40分ぐらいかかった記憶がある。この間、ジョンさんにずっと「あなたは赤ちゃんだ。赤ちゃんだね」といじられていた。若く見えるという意味なんだろう。もういい年したアラサーなんですけどね….

次に乗車した列車は、日本の旧車体だった。このものすごく見覚えのある荷物棚が毎日の通勤電車を連想する(泣)

ついにHlawga駅到着。目の前には、日本では見かけないであろう光景が飛び込んできた。列車がギリギリ通るところにある市場が所狭しと並んでいる。違う意味でスリル満点。人身事故が起きてもおかしくない狭さだった。その通路を歩いていく私達。列車が動くたびに乗客に「危ないから下がって!」と注意される。

列車が通るはずの線路にお構いなしに物を置いたり歩いたりする人たち。ゴミも散乱していたし、人の活気に満ちていた。これをカオスと言わずに何というのか。

そしてあたりを見渡せば周辺はこんな感じである。

完全にド田舎そのもの。本当に何もない。外国人の姿も全く見かけない。

時々見かける建物も店なのか家なのかよく分からない。でも放し飼いされているニワトリは本当によく見かけた。

気がつけば時間は16時を過ぎていた。このまま列車で帰るとなると時間がかかるということで、ここでバスを捕まえ、ヤンゴン・セントラル駅に戻った。

ヤンゴン駅に戻る。

しばらく散策をし、駅の上にある橋で休憩。

アンダマンビールを乾杯。昨日から飲んでばっかり。

ダウンタウンに戻ると、すでにあたりは暗くなっていた。お腹が空いたので近くの食堂でミャンマー最後の晩酌をすることに。

オクラの炒めもの。ごま油が効いてて美味しい。

これはカレー風味の炒めもの。

本日3杯目のアルコール。ミャンマービールもこの夜で最後になる。

この時、お互い疲れていたので会話の回数が減っていた。何も話さず、黙々と料理に手を付けるといった感じ。明日で帰るためか、私の気持ちが沈んでいたからというのはあるのかもしれない。その時、外から大きな雨音が聞こえてきた。またスコールである。この日もかなりの量が降っていた。まるで、近づく旅の終わりを嘆き悲しむ私の心情のようである。

雨が止んだところで店を後にし、ジョンさんとはここでお別れをした。宿に帰った後、フロントにはチリ人のダニエルとエクアドル人のヨセさんがビールを飲んでいた。彼らに誘われたので一緒に売店でビールを購入し、再度乾杯をした。後者のエクアドル人のヨセさんは70近いおじいちゃんだが、60カ国以上も旅してきた超ベテランの旅人であり非常にユニークな人だった。巷では話題に上がる程の有名人らしい。彼の被っていたカウボーイには色々国で買ったであろう大量のピンバッジが付いていた。チリとエクアドルはスペイン語圏のためか、ダニエルとヨセさんはスペイン語で会話をしていた。この時、ダニエルが自分が飲んでいたタイガービールの写真を撮り、インスタに「ミャンマービール」と書いてストーリーに投稿していた。

残念ながら、タイガービールはシンガポールのビールである。その事実を彼に伝えたら「Ohhhh, フ◯ッキン!!」と顔を真っ赤にしてちょいと叫んだ。みんな大笑いである。そして彼は投稿をやり直した。

これが本当の最後の晩酌。彼らのおかげで沈んでいた気持ちが少し和らいだ。

明日はいよいよミャンマーを離れることに。東南アジア旅は終わりを告げようとしていた。

それでは。