2017年3月11日 ウクライナ・キエフ 平穏を取り戻したルーシの都 

独立広場の円柱 ウクライナ

コントラクトヴァ・プロシャ駅到着後、オデッサでケイトに紹介されたホステルに向かった。今回キエフで泊まった宿は、DreamHouseHostel。地下鉄の駅からは歩いて10分ほど。近くにはスーパーや薬局、ウクライナおなじみチェーンのレストラン、プザタ・ハタもこの周辺だけで二件ある。青色が美しいあの聖アンドレイ教会や、聖ムィハイール黄金ドーム教会も歩いて行ける、場所としては悪くはない。

ホステルだが、門から出入り口までの距離が結構あった。庭もあるので広々としている。

キエフの宿の入り口

出入り口。どうでもいいがポケストップに指定されているらしい。結構規模は大きく、部屋は地下から2階まである。フロントの隣にはカフェが併設されているが、リア充と意識高い系の溜まり場と化していたので利用しなかった。

チェックインの時間はまだだったのでまずはバックパックを預ける。外に出ようとした途端、アジア人っぽい女性が横切ったが後に彼女が日本人であることをあとになってから知ることになる。

 

宿周辺。結構色々店があるので買い物には全く困らない。

 

なんでも国旗カラーにするのは相変わらずだが、これはさり気なく刺繍模様が施されていてかわいい。

 

キエフの地下鉄では料金と引き換えに「ジェトン」というこのコインをもらって改札を通る時に投入する。利用料は4フリヴニャ(約16円)。しかもどこに乗っても均一なのが嬉しい。ICカードもあるが、旅行者は基本的にこのコインを使う。

コントラクトヴァ・プロシャ駅は2番線で独立広場駅までは二駅なので超近い。

 

独立広場。ウクライナ語ではマイダン・ネザレージュノスチ。写真は独立記念碑で本サイトのHome画面右のドット絵もそれである。キエフの主な名所でもあり、数々の独立運動や革命の舞台になった場所でもある。2014年の政変が起きたのもここであり、今では「ユーロマイダン」とも。

 

複数の人物のモニュメント。女性の方は民族衣装を着ていた。

ここ独立広場は観光客が一番多く訪れる場所ではあるが、気をつけたいのは彼らをターゲットにしたならず者が存在することである。ディズニーやピクサー等の偽キャラクターのきぐるみを着た者や(しかも出来は今ひとつ 笑)鳩や鷹などを連れた者が笑顔で写真撮影を勧めるのである。そして撮影後に金銭を要求するのはお決まりのパターン。特に厄介なのが割りと流暢な英語で話しかけてくることである。これで、完全に観光客をカモにしているということが分かるだろう。こいつら、なっかなかしつこくてウザい。

私も実は彼らの餌食になりかけた。それは独立広場に到着したすぐに容赦なく襲い掛かってきた。きぐるみや鳩使いの連中がこれでもかというぐらいに話しかけてきて写真撮影の邪魔をしてくる。特にしつこかったのが鳩使いの女。私がいくら「結構です」と言っても聞く耳をもたずついてくる。そしてなんと、強制的に鳩を肩に乗せてきたのだ!「なにすんだ!やめろ!」これにはさすがにブチキレた。そしてこの女は勝手に怖がっていると勘違いしたのか「安全!安全!問題ないヨ!」と言ってきた。いや、そういう問題じゃない….あまりにもウザかったのですぐにその場を去って逃げた。あんたらが金銭目的で接近してるの知ってるんやぞこっちは。こういう詐欺に利用されている鳩さんも気の毒だ….

今後独立広場に行く方は、これらの連中に気をつけてくださいまし。関わるとロクな事がありませんよ。

 

ろうそくがウクライナの国章を描いている。おそらく政変の犠牲者に対する追悼だろう。

 

 

 

この下には政変の犠牲者達の写真や献花がある。犠牲者の中には学生などの若者も少なくなかった。

 

信じられないがここは三年前に政変デモによって荒廃していたのである。わずか短期間でここまで復興したのは本当にすごいことだと思う。

 

これはポーランド門。 歴史は古く、13世紀頃からあったとされる。写真はそれを復元したものである。個人的にこの天使がかっこいいと思った。

その後、あのムソルグスキーの曲『キエフの大門』のモデルとなった黄金の門を見に行く事に。行き方は独立広場駅から一番線に乗って劇場駅で降り、そこで接続している三番線の黄金の門駅に移動して降りる。するとすぐに門が見える。

 

黄金の門。実物を見た時の興奮は忘れられない。

 

そのすぐとなりにはヤロスラフ1世(賢公)の銅像がある。キエフはヤロスラフ賢公によって形成されたとし、西への入口として黄金の門が建てられた(『原初年代記』による)。13世紀のモンゴルの襲撃によって破壊され、しばらく復元はされなかったものの、1982年に復元された。中は博物館になっている。

 

涙を流しているように見える。

 

せっかくなので門の中に入ることにした。

 

入口。中々の重厚感。

 

二階もある。写真撮影は自由で一階には音声ガイドがある(英語とロシア語あり)。内容は門の歴史に関するもの。

 

僅かな隙間から外が見れるようになっている。外敵を確認するためなのだろうか。

 

その隙間からの眺め。道が刺繍模様になっていて可愛い。民族模様をさり気ない場所で取り入れる粋なところが好き。

 

屋上からの眺め。

 

ここから大砲を撃っていたのだろうか。

 

門の跡だろうか。そのまま保管されていた。

 

その後、聖ソフィア大聖堂近くの広場を散策。

 

ソフィア広場。ここにも独立広場にいたウザい鳩使いときぐるみ連中がいた。また声をかけられたが、全力で無視を徹底した。

 

ボグダン・フメリニツキーの銅像。彼はコサックの首長ヘトマンを務めた。17世紀半ばにポーランド・リトアニア共和国に対してウクライナとコサックの独立を求める反乱(フメリニツキーの乱)を起こした張本人であり、 最終的にはヘトマン国家を形成した。ウクライナ独立運動の先駆者ともなった。そのため、ウクライナでは英雄扱いされている。

 

目の前には聖ソフィア大聖堂がある。世界文化遺産に登録されている。

 

広場の三人の像。真ん中はイーゴリ1世(あの軍記に登場するイーゴリとは別人)の妻であるオリガ大公妃。イーゴリの息子スヴャトスラフが幼少の時に摂関を務めた経験があり、ルーシで最初にキリスト教の洗礼を受けた人物として知られている。また、夫を殺害したデレヴリャーネ族に復讐したというおぞましいエピソードもある。列聖されている。

 

聖ソフィア大聖堂の大鐘楼。薄いブルーを基調としており大変美しい。 中には入れるが撮影禁止だったので中は残念ながらお見せ出来ない。

 

地下鉄のエスカレーターの広告。これはHIVの検査を呼びかけるものである(キリル文字ではВИЛ)。 ウクライナでは近年HIV感染者が増加傾向にあるらしく、流行しているためこうした広告があるのも納得がいく。

 

独立広場駅に隣接しているショッピングセンターの内観。おなじみの店をはじめ、高級ブランドの店も並んでいる。フードコートあり。オーストリアのウィーンに本社があり、ヨーロッパを中心に展開している大手スーパーマーケットのBILLAもあるから買い物するには十分。

宿に戻り、チェックインをしてようやく部屋を案内される。今回宿泊した部屋は女性用だった。私は部屋を案内された後、設置されている家具などをチェックする。この時もいつものように確認した。その時、机の上に『地球の歩き方』が置いていたのを発見した。うん、間違いない。ここで朝にすれ違った女性が日本人であることを確信した。その時であった。丁度その女性が部屋に入ってきた。一瞬お互いビックリした感じだったが、「こんにちは」と挨拶をすると、「こんにちは」と返ってきた。やっぱり日本人だった。彼女(以下Rさん)は旅をしながらキエフの語学学校でロシア語を学んでいるらしいが、ロシア語は一週間前に勉強をはじめたばかりだという。ここでRさんが「せっかくですから一緒に夕飯どうですか?」と言ってくださったので一緒に宿近くのレストランに食事へ行くことに。

 

この時頼んだ本場のキエフカツレツ。サクッとしているが中は超ジュージーだった。これで110フリヴニャ(約470円)だから信じられない。

ロシア語の練習をしたいということでRさんは苦戦しながらもウェイトレスの女の子に話しかけていた。ちなみにこのウェイトレスは英語が話せない。

そんな彼女だが、実はすごい人で過去にJICAの仕事で2年間モロッコで生活をしたことがあるらしく、山登り好きが高じて中央アジアなどの国で登山をした経験を持つ超たくましい人だった。彼女は「型にはまった日本社会が自分には合ってなかった。だから海外に挑戦してみたいと思った」と言った。また、JICAに入る動機が人によって様々であり、何より「自分を変えたい」という理由の人がいたことに驚いた。この時、就職で悩んでいた私だが、Rさんと話すことで選択肢が沢山あることに改めて気づくことができた。自分の知らない世界や選択肢を知ったり、あらゆる経験を持った人と接することができるのも旅の醍醐味である。

私は自分の可能性を知りたいから旅に出たのかもしれない。この時ふとそう思ったのだ。

今日はここまで。