昨年、旧ブログで沿ドニエストル共和国に関する記事を公開した。だがそのほとんどはお役立ち情報を提供するだけで終わってしまった。ここでは、日記として沿ドニについて書いていく。
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キシナウ一日目が終わった後は、沿ドニエストル共和国に行くとあらかじめ決めていた。日本出国前、「沿ドニエストル共和国に行きまーす。」と宣言した時は周りに結構止められた記憶がある。しかし、未承認国家という魔法のフレーズに勝てるはずもなく、入国することを決意した。出発前の当時は結構高揚感があったと思う。
キシナウからティラスポリまでの主な移動手段はバス。市場近くのバスターミナルから乗ることができる。チケットもそこで買うことになる。売り場のおばちゃんは英語が通じないが「ティラスポリ」と言えば伝わるだろう。クレジットカードは使用不可。
宿からバスターミナルまでは、徒歩で向かった。
隣接している市場にまずは到着する。そこから早速ティラスポリ行きのバスを探すことに。しかし、思っていた以上に簡単にバスを見つけることができた。なぜなら、馬鹿みたいに派手な大型バスの前で、バスの運ちゃんが「ティラスポリ!ティラスポリ!」と叫んでいたからである。バスを確認した後、チケットを購入。ティラスポリ行きは意外にも本数は多く、一時間に一本出ているそうだ。
出発時間の五分前に、バスに乗り込む。乗車率は結構高めで隣に恰幅のあるおばちゃんがズシンと乗ってきた。内観は原色の青とどキツイピンク色が基調としていてダサさがにじみ出ていた。
これが内観の写真。前には乗客が退屈しないようにテレビが設置されている。このときはロシアのアニメ映画でオオカミとウサギが出てくる『ヌー、パガジー!』がずっと垂れ流しにされていた。
所要時間は一時間ほど。30分したときに国境審査(?)が始まる。モルドバは沿ドニを国家として容認していないが、一応審査はあるようだ。バスは検問所で停車し、乗客は一斉に降りてイミグレーションを受ける。しかし、ここでも驚きの連続であった。モルドバ市民はなんと、市民カードらしきものを見せるだけで入国していたのだ。後で聞くと、モルドバ民と沿ドニ民は両国を行き来しているらしい。そうこうしているうちに私の番が来た。審査官はまず「パスポートを見せてください」と聞いてきたので言われたとおり見せる。この時、パスポートにスタンプが押されないか正直ビクビクしていた。しかし、モルドバは国とみなしていないため、その心配はなかった。そして、「訪問目的を教えてください」と聞かれ、一瞬考え込んだが、友人を訪ねるためという適当な言い訳をして何とか通してもらった。その時、名前やパスポート番号、滞在理由などの個人情報が書かれたイミグレーションカードというものが渡され、滞在中はそれを肌身離さず持参しなければならない。なぜなら、出国の時にそれを提出する必要があるからだ。もし、その時に紛失したら、後々面倒なことになるから必ず失くさないようにしよう。
バスの到着場所は鉄道駅の前。
ティラスポリ駅。意外としっかりしていた。バスは結構停車しており、大型バスもあれば、マルシュルートカもある。
沿ドニ上陸してまず迎えてくれたのが、二匹の野犬。沿ドニには多くの野犬がいる。
駅近くのレーニン通りの様子。閑散としており、道もお世辞にも良いとは言えない。(だがそれがいい)
こんな立派な銀行もちゃんとある。独自の通貨があるぐらいだからね。
ヘアサロンの宣伝ポスターらしい。いつから張っているんやというぐらいに完全に色あせていて妙に味が出ている。
団地と大通り周辺。意外だったのが、中心地は道が整備されているところだった。道には屋台でフルーツなどを売るおばちゃんがいたり、おめかしをして颯爽と歩く若い女性も結構いた。市民は結構豊かな生活を送っているのだろうか。
教会もあり、立派な黄金色のドーム状の屋根が付いているがよく見ると中がスッカスカ。どうなっているんやこれ。
通りを示す看板。無駄にしゃれている。10月25日通りというものがある。これはキシナウの「1989年8月31日通り」とほぼ同じような感じである。
中心地の一番大きい通り。ここの道は結構きれい。店やレストランも並んでいた。こうしてみると割と普通の街という印象だ。
小さな本屋さんもある。ほとんどがロシアに関する本が売っていた。営業中。
ソビエトの家という感じだろうか。すぐ前にはおなじみのレーニンの胸像が設置している。沿ドニ市民の中にはソ連はまだ生きており、ソ連の一員という自覚があるのだ。
20周年と書いている
ヨーロッパ人の大好きなオープンテラスもちゃんとあるんだよ。
沿ドニエストル共和国国立大学。「国立」を名乗っているあたりが独立意識の高さが見える。
劇場もちゃんとある。
劇場周辺をブラブラしていた時、どこかで見たことのある男性の姿が見えた。近づいてみると、やっぱり同じ宿で会った日本人男性(以下Rさん)であった。そして目と目が合った。私が先に「こんにちは」と挨拶をした。Rさん「日本人かいっ!」といった感じの反応を見せられたのを覚えている。それ以降は彼と一緒に散策することにした。
トロリーバスもちゃんと通っていた。車体にはロシア語で「ロシアとともに未来を!」といった感じ。デザインが完全に「THE・ロシア!」でロシア愛がむき出しになっていて逆に清々しい。
旧ソ連圏おなじみの団地。上にさりげなく模様が施されていてここでもちゃんとおしゃれ感が演出されている。素敵。下には店があるから超有能。
ここでも驚きの連続であった。これはアブハジア共和国兼南オセチア共和国領事館である。ちなみに両共和国も国際的には承認されておらず、ジョージアの一部として認識されている。未承認国家同士仲よくしようということだろうか。ちなみにアブハジア共和国の手のマークが特徴の旗はやっぱりインパクト大であった。
こんな有名観光地の真似事までしていた。
これは沿ドニエストル共和国の創設者の銅像。
じゃれあっている犬たち。
立派な電光掲示板が設置されていた。実はこの共和国、結構金持っているんじゃないの?
戦車と小教会。
あなたのために死んだ名も無き英雄たち。これは無名兵士の記念碑だろう。
祖国の息子たちであるアフガニスタン戦争の兵士たち。写真はその銅像である。
またまたレーニンの銅像。沿ドニ市民はソ連の創設者であるレーニンが大好きである。
訪問当時は2015年であった。これは沿ドニの国章である。鎌とハンマーがある時点でソ連の一員という強い意識があることが分かる。
アンディーズピザがあったことに驚いた。しかもWi-Fi付きw
せっかくなので、沿ドニエストル共和国産の白ワインで乾杯をした。とても甘口で美味しかった。帰りは土産としてボトルを購入した。キシナウビールを注文したRさんと乾杯した。
ブーケットという銘柄。お土産で買ったものは研究室の夏合宿の懇親会で開けて飲んだのは懐かしい。
ピザは絶品であった。このときRさんは近くの席に座っていた外国人観光客と楽しそうに話していた。けっこういるんだね、外国人観光客。
エサを探しているお犬様。
帰りのバスに乗ろうとした時、キシナウ行きのバスがどれか分からなくなった。そこで彼がバスの前にいたカップルに声をかけると、彼らの前にあったバスがキシナウ行きであった。ちなみにこのカップルはフランス人観光客だった。バスは行きと違い、マルシュルートカだった。
沿ドニエストル共和国と聞くとマイナーな印象だが、欧米人を中心に旅行者は割りと多い。同じ部屋にいたニュージーランド人の男2人組も行ってきたらしいし、他のモルドバに来た人もみんな沿ドニに行っている。
バスが本土との境界に来た時、審査官がバスに乗り込む。入国(?)の時に書いて持参していたイミグレーションの紙を一斉に提出した。何か言われるのではと多少ドキドキしたが、何もなく共和国を抜け出した。
帰り途中で撮影したひまわり畑。時期が過ぎていたのか、花は皆枯れていて全て頭を垂れていた。
少し見えづらいが、これはベンデル城。ベンデル市にある名所の一つ。
モルドバ本土に戻った後、少し散策。駅周辺にも行ってみた。
キシナウ駅
その周辺。目の前にポルトガルの首都リスボンにある発見のモニュメントもどきの記念碑がある。
駅の中。ヨーロッパの首都の駅とは思えないほど閑散としていて薄暗い。しかも窓口も19時で閉まる。そして衝撃だったのがATM。一応ATMはあるのだが、なんと、900レフ(約5600円)以上は引き出せないということ。なぜならお金がなさすぎるから。このとき初めてヨーロッパ最貧国の現実に触れた。
二人で夕飯を取ることに。さすがキシナウ、レストランらしき場所が中々見つからない。ここでレストラン難民に陥る。
ホテルコスモス。ソ連時代からある老舗ホテルでキシナウでは有名らしい。 割と安いらしい。
なんとも微妙なネオン。
不気味な地下通路を通る。結構怖い。
あーもう限界。そう思い、諦めて宿の近くに向かうことに。すると、ようやくレストランを発見。
宿近くのよさそうなバーにすることに。
ここは安くておいしかった。なにより店員さんがかわいかった。ロシア料理やモルドバ料理もある。テレビがあり、この時はサッカーの試合がやっていた。
この時食べたのはロシアの酸味のあるスープであるソリャンカ。これ、結構おいしかった。
夕食が終わったとき、すでに時刻は22時を過ぎていた。街灯がほとんどなかったのであたりは真っ暗だった。
宿に戻ると、またアジア人らしき男性の姿があった。この時彼はヒマワリの種を片手で器用に食べながらパソコンをいじっていた。そのパソコンをよく見ると、ひらがながのっていた。またまた日本人だ。私はすぐに「日本の方ですよね?」と声をかけ、「そうですよ!はじめまして!」と気さくに応じてくださった(以下Tさん)。まさかキシナウの宿で二人の日本人に会うとは思わなかったので驚きだ。
沿ドニエストル共和国を訪問したのは一日だけだったが、本当に驚きの連続で濃ゆい一日だった。すっかり病みつきになってしまった。また行きたい。