最初は躊躇しました。戦時中のウクライナへの訪問に。
ただ、スロバキアとハンガリーの国境に接する西部の街ウジホロドはロシアによる侵攻開始以降、一度も攻撃を受けておらず比較的安全と聞いた上、侵攻から2年が経過して一部の人々は帰国している状況を見て、実際に訪れることができました。
また、戦時下のウクライナの状況を知りたいという冒険心ともう一度ウクライナを訪れたいという想いがありました。状況を把握するのであれば本来はキーウや激戦地である東部に行くべきなのだが、さすがに危険なのと、トラブルに巻き込まれた際に日本に帰国できなくなく恐れがあるので行っていません。
実際にウジホロドに訪問した感想ですが、とにかく平和でした。
戦争中とは思えないほど平穏な空気があり、人々も通りを散歩したりテラスでお茶をしたりと思い思いに日常生活を送っていました。ただ、やはり至るところで迷彩柄の軍服を着た兵士を見かけたり(中には銃を持った者もいた)、空襲警報のようなサイレンが時々鳴ったりと、戦争中であることを嫌でも実感させられるような生々しい場面を見ることがありました。
また、外国人旅行者がほとんどいなかったこともあり(当たり前)、「本当に来て良かったのかな。場違いだったかも」と悶々とすることもありましたが、結果として訪問できて良かったと思います。外務省の忠告を無視したことは反省しますが….
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さて、ウジホロドまでのルートですが、私はチェコの首都プラハから夜行バスを利用しました。料金は33€とお手頃。
ルートは以下の通りです。
19:30頃プラハのフローレンツ・バスステーション出発
↓スロバキア通過
↓朝5:00頃スロバキア・ウクライナ国境(出入国審査)
↓8:40頃ウジホロド到着
イミグレ時、唯一の外国人だった私だけパスポートを念入りにチェックされましたが問題なく入国できました。
バスステーションではウクライナ発着便のバスが非常に多く出ていたため、バスの待合室ではウクライナ人で溢れていました。
到着後早速予約していたホステルへ。
今回利用した宿は「Forsage Hostel」。中心地からは若干離れた落ち着いた雰囲気のホステル。カフェが併設されており、ディナーと朝食が超手頃な価格で食べられました。
この日は調子に乗って4品注文しましたが、なんと10€もしませんでした!合計で7€(1100円ぐらい)ちょっとかな。戦争中も物価の安さは健在のようです。これと全く同じものをイタリアやフランスのレストランで注文したら軽く30€超えてますぜ 笑
宿の利用者ですが、やはり旅行者らしき人はおらずほぼ全員ウクライナ人でした。彼らはおそらく東部から戦禍を逃れて避難してきた人々で一時的な滞在先として、このホステルを利用しているような雰囲気でした。中には迷彩服の兵士や救護隊と思われる女性の利用者もいました。とてもじゃないけど交流できるような雰囲気ではなかったです。まあ当たり前か。こんな空気の読めない一旅人の相手なんかするわけないですよね。
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4月8日の朝。起床直後、外で突然ウクライナの国歌(歌はなくメロディーだけ)が流れ始まりました。国歌が終わった後、戦争の犠牲者への追悼?らしき言葉が流れ、しばらく鐘の音が続いた後「Слава Україні! Героям слава!(ウクライナに栄光あれ!英雄たちに栄光を!)」というウクライナお馴染みの愛国的メッセージで締め括られて終了。全て含めて多分3分ぐらいでしょうか。毎朝8:45になると街中で流れるらしい。前回訪問時(2017年当時)はそんな放送はなかったので侵攻開始以降に始まったのでしょう。
実はウジホロドでも日本と同様、桜の開花がピークを迎えたらしいです。日本のソメイヨシノとは別の種類ですが、鮮やかなピンク色が特徴で非常に見応えがありました。日本でよく見る桜とは違った魅力と美しさがありました。この桜、どうやら日本から持ち込まれたのだとか。ただ今年は暑かったのか、一部の桜はすでに葉桜になっていました。
桜の開花に合わせて、ウジホロドではアートイベントやワインイベントなどの桜まつりが開催されるらしいですが、残念ながら開催時にはすでに出国している。残念。もう少し早めに知っておけばよかった。
散策の途中、上記に記載した通り空襲警報らしきサイレンが街中に響いていましたが、地元民は慌てる様子はありませんでした。すでに慣れているのか、もしくはサイレンではないのか。
本日はここまで。後半へ続く。