隠れた魅力を持つ東欧の小国、モルドバ

モルドバ

どうも、ネフスかやあいりです。

ロシアビザの記事からしばらく日を空けてしまいました。すいません。

用事がようやく落ち着いたので久々に記事を書いていきます。

今日は、以前から記事にしたいと考えていたモルドバについてお話します。モルドバといえば、あまりご存知ではない方もいらっしゃるかと思いますので、「モルドバとはなんぞや」というところから説明していきます。

モルドバとは?

地図上に丸を囲んでいるのがモルドバです。首都はキシナウ(ロシア語読みでキシニョフ)。東ヨーロッパ諸国の中の一つです。面積は九州より小さめで人口は約291万人(トランスニストリア地域除く)とかなり小国です。公用語はモルドバ語ですが、ロシア語と一緒に使う人が多いです。宗教は正教会がメインです。

参照:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/moldova/data.html

11年前にあの「ノマノマイェイ」で一時期流行した「恋のマイアヒ」を歌ったO-ZONEというバンドがありましたが、そんな彼らも実はモルドバ出身なのです。このバンドでモルドバを知ったという方もいるのではないでしょうか。

私が初めてモルドバを知ったのは中学三年。テレビ東京で放送されていた『100円玉に愛をこめて』でモルドバで貧困生活を送る少女の話を見て初めて知りました。この時の私の中で、ヨーロッパはフランスやイタリア等の豊かで優雅なイメージがありましたが、そんなヨーロッパに貧困国が存在することに衝撃を受けたのは今でも鮮明に覚えています。その時は正直、実際にモルドバに行くなんて想像もつかなかったのだが。

モルドバの歴史

ステファン・チェル・マーレ公園にあるステファン大公の銅像

この国が初めて歴史に登場するのは1300年代。当時モルダヴィア公国があり、ステファン大公の治世が最盛期であったと言われています。モルドバ人にとってステファンはモルドバ史の繁栄の象徴でかつ英雄的存在であり、そのため公園には銅像がありますし、通貨のモデルにもなっています。

しかし、1512年にはオスマン帝国の支配下に入り、1792年のヤシ条約でトランスニストリア地域(沿ドニエストル共和国)がオスマン帝国からロシアに割譲されるようになりました。1806年の露土戦争でベッサラビアがロシアに併合され、1859年にはモルダヴィア公国とトラキア公国が合併されました。1917年のロシア革命以降はソヴィエトに併合が決定、1940年にモルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国が設立しました。1980年後半になると独立志向が強まり、1991年にモルドバ共和国として独立して今に至っています。

このようにモルドバ史(というジャンルがあるのかどうかは疑問の余地がありますが)見て頂ければ分かりますが、周辺諸国による併合が多く、波瀾万丈の歴史を歩んでいるのが見て取れます。モルドバ人のアイデンティティーについてよく分からない部分があるというのは歴史的背景が関係しているのかもしれません。

主要産業

モルドバは肥沃な土壌が多いため、第一次産業が中心です。特に葡萄の栽培が盛んであるためワインの産地としても知られています。実はモルドバは隠れたワインの名産地であり、安く上質なワインが飲めるのが魅力です。スーパーでもたった200円で買えるので手軽に美味しいワインが楽しめます。その他にも野菜の栽培や酪農も行われています。

モルドバにとってワインは最強の資源であり、一見みれば「売れば儲かるじゃん」と思うでしょう。ですが、モルドバはヨーロッパ最貧国。市場を拡大する資金が不十分であるため、良質な資源を存分に生かせないというのが現状です。要するに宝の持ち腐れ状態なのです。

モルドバワイン

現在の状況

モルドバはヨーロッパの最貧国とされており、一人あたりの国民総所得は2,162$(2014年)と10年前よりはやや改善はしているものの、それでもヨーロッパの中では低水準となっております。全人口の半数以上は貧困層でその多くは子どもと女性とも言われています。非公式の統計では100万人以上が隣国のルーマニアやヨーロッパ諸国等へ出稼ぎに出ています。また、孤児も多く出稼ぎを口実に育児放棄をするケースも少なくありません。

モルドバでは政治面での不満によってヨーロッパで唯一共産党が復活し、この傾向はソ連時代への懐古の表れとされています。(ソ連時代の方が生活水準は良好でした)

また、人身売買の温床となっており、「海外で稼げる職業があるから紹介してあげる」と言葉巧みに騙し、外国で売春をさせられるケースも後を絶ちません。モルドバには家族を養うために出稼ぎを希望する女性が多いことから、ブローカーにとってはかなり都合の良い地域とも言えます。ちなみに、日本で働いている「ロシア人」を名乗る売春婦の殆どはモルドバ人らしいです。

1990年以降、ルーマニアとの統一の話があったそうですが、以上の現状からその可能性は皆無といえるでしょう。

モルドバ国旗の隣に並ぶEU旗

写真見ていただいたら分かりますが、キシナウ市内では自国の国旗の隣にEU旗が並んでる場面をよく見かけます。おそらくEUを意識しているのでしょうが、モルドバがすべきことは、EU加盟以前にまずは国内の諸問題に対してしっかりと向き合い、改善する努力が必要でしょう。

モルドバクラスタのための旅行情報

◯日本から行く場合

日本からの直行便はありません。そのためロシア、ドイツ、オーストリアかルーマニア、ウクライナで乗り継ぎしてキシナウまで行きます。陸路からはロシア、ウクライナ、ルーマニアから鉄道、バスがあります。ルーマニアではヤシからミニバスでキシナウまで行けます。キシナウの空港から市内までのバスはありますが、前払いのタクシーでの移動も可能です。運賃は約100レイです。

◯お金

モルドバはヨーロッパ最貧国なので物価は安いです。高いレストランでも500円いくかいかないかですので、安くお腹いっぱいになれます。キシナウビールも16レイですのでお酒好きにはたまらないでしょう。しかしこの物価の安さの割には宿代は高く、私が宿泊したホステルも一泊2000円近くしました。おそらく、主要観光地に比べて宿の数が少なく価格競争をしなくても客が来るためなのでしょう。

もう一つ気をつけないといけないのが、ATMです。キシナウ市内にはATMの数が多くありません。また、鉄道駅内に設置されているATMは600レイ以上は引き出せません。その上、クレジットカードが使える店が少ないので、モルドバ入国前には予め現金を多めに引き出しておいたほうがいいでしょう。

モルドバレイは他国で両替できません。なのでただの紙切れにならないうちに使いきりましょう。

◯治安

キシナウ市内の治安はかなり危険というわけではありませんが、私が見た限りでは良好とはいえない感じでした。街を散策するときも不穏な若者を見かけたりしましたし、キシナウホテルの手前にある空き地には酒を飲みながらタムロしている男集団がいたそうです。中心地の通りや市場付近は人が多いですが、少し離れると人通りは少なく、薄暗いので雰囲気がよくありません。街灯がほとんどなく夜になると中心地以外はほぼ真っ暗になりますので、外での用事は明るいうちに済ませましょう。

また、キシナウには野犬が多く狂犬病のリスクもありますので、可愛いからといって不用意に近づかないようにしましょう。野犬は昼間は大人しくだらけたり寝てたりしていますが、夜になると活動的になって人間を襲う可能性もありますので注意が必要です。

◯言葉

モルドバ人はモルドバ語だけでなく、ソ連時代の名残でロシア語も話せます。1989年8月31日が記念すべき言語独立の日だそうですが、彼らが言うモルドバ語は実はルーマニア語なのです。英語はほとんど通じませんので、ロシア語かルーマニア語が話せないと旅行は厳しいと考えてもらったほうがいいでしょう。ですので、モルドバ旅行を予定されている方は英語だけで通そうという考えは捨て、あらかじめ簡単なロシア語を覚えたほうがいいでしょう。

ちなみに1989年8月31日は通りの名前にもなっています。

◯食事

モルドバではルーマニア料理とロシア料理が中心です。私が行った時はモルドバ料理というものは見ませんでした。調べると、葡萄の葉で肉を包んだサルマーレや腸詰めの肉団子のミティティ、パプリカを使ったスープグヤーシュ(モルドバ料理じゃないが….)があるらしい。

メインは肉料理や乳製品が中心です。乳製品は濃厚でとても美味しく特にアイスクリームは絶品でした。ロシア料理でお馴染みのボルシチやペリメニ、ウハーも食べられます。

歩きながら食べるアイスクリームは至福

モルドバという国はあらゆる謎に包まれたよくわからない国ですが、その分興味深い国でもあります。記事を書いているうちにまた行きたくなりました。次は旅行記を書きます。ではまた。

キシナウの凱旋門

ヨーロッパ写真集 これだから旅はやめられない モルドバ・沿ドニエストル共和国編

新品価格
¥357から
(2020/9/26 16:19時点)