2015年8月16日 ラトビア・リガ一日目 中世の面影を残すバルトの大都市

ラトビア

どうも、こんにちは。ネフスかやあいりです。

今日は二回目ですので、本格的に旅行記を投稿していきたいと思います。研究と両立しながらの更新になりますがなんとか頑張ります。旅行記ですので、写真や動画なども分の途中に挿入しますが、基本的には長文になります。ですので、読むのがめんどくせえと思ったら途中でやめていただいても大丈夫ですが、このスタイルを変えることはありません。

今日は、2015年8月16日から18日の間に滞在したラトビアの首都リガについて書いていきます。

ご存じの方もいると思いますが、ラトビアはバルト海に並ぶバルト三国の中の一国でエストニア、リトアニアの間に位置しており、ロシアとベラルーシとも国境を接しています。首都のリガは、「リガ歴史地区」として世界遺産に登録されている歴史ある都市です。12世紀頃にはドイツ人の入植も開始され、交易をはじめ、水産業などが栄えるようになります。その影響で町並みもドイツに似ているのかもしれません。

画像元:外務省HP、ラトビア共和国http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000010920.gif

説明はとりあえず終わりにして、ここからは本当に旅行記を始めたいと思います。

私がラトビアに行った時のルートですが、まずヴィリニュスから長距離バスで行きました。ヴィリニュスーリガ間は約4時間です。短距離で、しかもバスで隣国に行けるのは本当に羨ましい限りです。

バルト三国間の移動は基本的にバスを使います。代表的なバス会社は Lux expressやsinple express、eurolineやecolineがあります。どれも片道20ユーロ以下で利用できる上、無料Wi-Fiが使えたりバスによってはドリンクサービスも付いてきますのでとても快適です。長距離になれば飛行機と同様にスクリーンが座席の前にあり、映画や音楽を楽しめます。

リガ行のバス。

出発の40分前にヴィリニュス駅のバスターミナルに到着。乗り場を探し、10時発のバスを発見したのでここで待機しました。しかし、間違えていないかが不安だったので隣に並んでいたおばさんにバウチャーを見せ、ロシア語で「このバスの乗り場はここで合っていますか」と聞き、おばさんは「そうそう、ここだよ、問題ないよ!だからここで待ちな」と言ったので一安心。が、隣にいた一人が「そのバウチャー、もう一回見せてくれる?」と言われたので見せたら、「あなた、このバスはここじゃないよ。向こうの18番乗り場だよ。もう時間がないから急いで行きなさい。」。どうやらさっきのそのおばさんが間違っていたみたいでした。おばさんはすぐさま無邪気な笑顔で「ごめんなさい〜!」と謝っていました。

実は10時発リガ行のバスは複数あったらしく、結局自分の乗るバスの乗り場にたどり着いたのは出発3分前でした。ちなみに私が乗ったのはこの写真のバスではありません。

自分の乗るバスが分かったところで、バックパックを運転手に預けました。その際に運転手は「どこで降りるのか」と尋ねるのですが、前にいた外国人観光客の女性に対しては英語で聞いていました、が、私の番になった途端に急にロシア語に変わったのです。なんでかは知りませんが、おそらく中央アジア系かロシア語圏の人間だと勘違いしていたのでしょう。まあロシア語はある程度理解できるので別にいいんですけどね…..

 バスの窓から見たダウダヴァ川。旧市街が見えてきました。この時の天気は快晴。天気にはかなり恵まれました。

リガの地下道。写真では分かりにくいですが、右に小さい店があります。ロシアをはじめ、旧ソ連圏の地下道ではどこも似たような光景が見れます。

リガに到着後、早速宿探しの旅を開始。しかし、予約した宿がなかなか見つからない。通りかかったおじさんに道を聞き、それを手掛かりに探して30分、ようやく見つけたのです。Marstalu通り1番にあるビルの4階にあり、1階にマクドナルドが入っていました。ホステルの表示はあったものの、かなり分かりにくく、通った時に見逃していたのかもしれません。

ホステルに着いて部屋を案内してもらい、バックパックを置いて外出の準備を始めました。その時に同じ部屋にいた女の子に話しかけられ、英語で’ Are you from?’と聞かれて’ Japan ‘と答えた途端、「えっ、日本人だったんですね!」との返答が来ました。

なんと彼女は日本人でした。アイルランドに留学中で夏休みを利用してラトビアに旅行していたらしいです。日本人に会ったのは二週間ぶりでしたのでとても懐かく感じました。

しばらく話をした後に、事前に約束をしていたウギス氏とお会いしてリガ散策を開始。ウギス氏はカメラマンとして活躍をされており、日本が大好きで何度も訪問されており、日本語の弁論大会でも優勝されている凄い方です。そのため、日本語はかなりペラペラで散策の際もノンストップでリガの観光名所の説明をしてくださりました。しかも日本語で。恐れ入りました。

私たちが最初に向かったのは公園。公園にしては賑やかで人だかりがあったので不思議に思ったらなんと、年に一回8月に開催されるリガ祭がちょうどやっていたらしいです。あまりにも偶然だったので思わず「自分を歓迎してるんだな」と勝手な思い込みまでしてしまいました(笑)

リガの中心地にある公園。リガ祭に合わせて見世物が行われていた。

野外ライブ。このバンドは中世の楽器を使ってアレンジして演奏していました。

ラトビア式の竹馬。一風変わった使い方をしています。日本の方法よりはまだ遊びやすそうです(やってない)

ラトビア大学の正門。日本で言えば東大にあたります。

この建物は劇場。

そしてなぜかバスケットボールの試合(?)がやっていました。この試合は深夜まで続くそうです。

 自由の記念塔。これはラトビア独立戦争で亡くなった兵士に捧げられたモニュメントです。ソ連時代には解体を検討されましたが実行せず、ソビエトの権威を象徴するプロパガンダとしての役割を持つようになります。 女神が掲げている3つの星はバルトの連邦構成共和国を表します。現在では、この記念塔はラトビアの独立、自由を表すシンボルとして大切に守られています。

猫の館。中世期にとあるラトビア人職人がいて、彼は大変有能であったため、大ギルドの入会を希望していました。しかし、当時ギルドの入会が許されていたのはドイツ人だけでした。それに納得のいかないラトビア人職人は入会の許可が得られるまでに、この猫の尻をドイツ人親方の館に向けて抗議をしたそうです。その結果、恥辱に耐えられなくなった親方はついに折れ、彼にギルド入会を認めました。当時、猫の尻を向けられることは屈辱を意味していました。

これは二人の映画監督の名前が刻まれているプレートです。1991年のラトビア独立運動の際、彼らはそのドキュメンタリー映画を制作するために現場を撮影していたのですが、その途中で射殺されてしまいました。途中で亡くなったので未完成のままでしたが、後に映画は上映されたそうです。このプレートがあるのはまさに二人が射殺された現場です。

銃痕も生々しく残っている。

リガの旧市街はこうした狭い通りが多くあります。ここを通った時、中世の時代に気分でした。このようにリガでは中世都市の面影が残っているのです。

旧市街の広場。祭りの真っ最中なので多くの人がいました。広場に来てまず驚いたのが、無料のWi-Fiが繋がった時。実はラトビアはIT技術が非常に発達しており、Wi-Fi普及率も世界一なのです。どこに行ってもバスの中でもWi-Fiが繋がるのです。その点、日本はWi-Fiに関してはまだまだ遅れているのかもしれません。日本に遊びに来た私の友人はWi-Fiスポットを探すのに苦労していました。

これはブラックヘッドの会館です。15世紀頃に建てられたそうです。入口には豊かな生活を支えてくれた黒人奴隷が描かれている。現在でも、先進国の経済発展、豊かな生活の裏にはそれを支える途上国の労働者の存在がありますが、それは今も昔も変わらないというのが事実です。「歴史は繰り返す」ことを建造物は教えてくれるのです。

これはリガに初めてクリスマスツリーが建てられた場所です。様々な言語で書かれていますが、なんと、日本語もありました。

旧市街から見たダウダヴァ川。一見夕方に見えますが撮影時間は午後9時です。ラトビア等の高緯度の国は夏になると日が暮れるのが遅くなります。

リガ祭のメインステージ。ここでは歌手や合唱団、ミュージシャン等がライブをやっていました。ここで歌われたラトビア音楽につい夢中になって聴いてしましました(そのくせに曲名を忘れましたw)本当に運が良かったと思います。

その後、ビュッフェ形式のレストランで夕食を食べました。値段もリーズナブルでとても美味しかったです。

食事中、ある一人の男が私達の前に表れたのですが、男は小さい紙を見せて手話で何かを言いたそうにしていました。紙切れを見てみると、「助けてください!私は耳が聞こえません。なのであなた達の支援が必要です。どうか私に2ユーロを寄付してくれませんか」と言った内容が英語で書かれていました。ウギス氏によると、実はその男は耳の聞こえないフリをして金を取ろうとしている詐欺師だったそうです。男はレストランや観光地周辺を転々としていたそうです。どこの国でもそうかもしれませんが、リガでも「障害者」を称して同情を誘い、観光客から金を取ろうとする詐欺行為が問題になっているそうです。これから海外旅行に行かれる方はくれぐれも騙されないように気をつけて下さい。

夕食。ラトビアにもピンクの冷製ボルシチがありました。THEラトビア料理という漢字ではありませんが、ポテトフライにかかっているディルのソースが絶品でした。

まだやってましたwww

ホステルに戻ろうとしたその時に、なんと花火が上がってました。まさかウン十年ぶりにラトビアで花火が見れるとは夢にも思いませんでした。

公園を後にした後、お酒を買おうと店に行きました。しかし、その時は10時を過ぎていいたためお酒類は購入できず、諦めてディル味のポテチと水、マグネットだけ買いました。ラトビアでは夜10時以降はお酒の販売が禁止されているのです。これは禁酒運動の一環であり飲酒によって健康を害することを防ぐためだそうです。

ホステルに戻り、ウギス氏とはここで挨拶をして別れました。短い時間ではありましたが、お忙しい中、私とともに時間を過ごしてくださったウギス氏には改めて感謝を申し上げます。

リガ一日目はこれで以上です。次は2日目について書いていきます。