ロシア・サンクトペテルブルグ後半 ロマノフ王朝の歴史を辿る旅 2014年8月23日

ロシア

 

後半。エルミタージュの後に市内から少し離れたペトロパブロフスク要塞に行くことに。

交通手段はバスと地下鉄で。

ロシアの市バス。これは割ときれいな方では。この時、同伴の留学生の子からペテルブルグで一眼レフカメラをバス内で強奪された日本人の話を聞いてゾッとした。でもこういう話を聞いても同情はしない。堂々と高価なモノをぶら下げるほうが悪いんだ。

 

到着。

 

午前中の曇り空が嘘のように晴れている。 このとがった建物が首座使徒ペトロ・パウロ大聖堂。この要塞のメインのスポットだ。

 

 内観は正教会だが、それにしてはかなりきらびやかな印象。この大聖堂にはピョートル大帝以降の歴代の皇帝が眠っている場所として知られている。写真が何枚かあるので紹介しよう。

 

 これはニコライ二世とその家族の墓。壁にはニコライ二世ファミリーの名前が刻まれている。立ち入り禁止のため、間近で見ることはできない。

 

この大聖堂はバロック様式だそう。だから他の正教会の内観と違うのか。

 

ここから、歴代皇帝が葬られている棺の写真が続く。これはピョートル大帝の妻で最初の女帝となったエカテリーナ一世。 彼女はもともとリヴォニアの農民の娘マルタであり、ロマノフ家とは直接関係はなかった。ドイツ人の牧師に引き取られた後にスウェーデンの竜騎兵と結婚するがロシアとスウェーデンが大北方戦争で激戦中であり、彼女もロシア兵の捕虜になるが、将軍のメーンシコフの手にわたり、彼はピョートル大帝にエカテリーナを紹介した。ピョートルはエカテリーナを気に入り、自身の妻にしたという。それまではロシアのツァーリはロシア人のみだったが、非ロシア人のエカテリーナ以降、ロマノフ家はロシア以外の血が混じることになる。(二世なんか完全にドイツ人だしね)

 

はい来ました。これがあのピョートル大帝が眠る棺だ。その上には胸像が設置されている。興奮が止まなかったのでここからしばらく離れることができなかった。

 

これはエリザヴェータ女帝の棺。彼女はピョートル大帝の娘。快活でかつ絶世の美女だったとか。

 

少し遠いが、奥にはエカテリーナ二世とピョートル三世の棺。ピョートル三世はエカテリーナ二世の夫で皇帝だったが、フリードリヒ二世を崇拝するプロイセンびいきでかつエカテリーナとも性格や趣味からして全く異なっていたため仲も芳しくなかった。知的だったエカテリーナだったのに対し、ピョートルはいい歳しても人形ごっこをするような精神面の未熟さがあったという。彼の唯一まともな趣味であったのはバイオリンであり、その腕には定評があったが最悪なことにエカテリーナは音楽を嫌ったため二人の険悪っぷりがさらに発揮された。最終的にはピョートルはエカテリーナ主導のクーデターによって捕らえられて獄死した。

そして今、あれだけ嫌っていた自分の夫とこうして隣の棺で眠っているのである。皮肉なものだ。

 

後ろに見えるのは、エカテリーナ二世の息子で次の皇帝であったパーヴェル一世の棺。その隣にはアレクサンドル一世が並んでいる。

 

多くはないが正教会お決まりのイコンが並んでいる。

 

ロマノフ王朝の家系図。初代のミハイル・ロマノフ~最後のニコライ二世までのすべての歴代皇帝が勢ぞろいしている。

 

 アレクサンドル三世の治世に作成された歴代皇帝の家系図でツリー形式で表している。こっちはリューリクからアレクサンドル三世まで表示されている。

 

ピョートル大帝の胸像。気難しそうな表情。

 

ニコライ一世のポートレート

 

 アレクサンドル一世

 

ピョートル大帝

 

外に出たら早速猫を発見。ちなみに余談だが、エルミタージュではネズミ対策にあえて猫を館内に入れているのだとか。 展示品がネズミに食われないように猫に捕まえてもらうんだって。ここに限らずロシア人は無類の猫好きであり、私のステイ先のナスチャも買っていたなあ。

 

 なんだか空模様が怪しくなってきた。嫌な予感。

 

ネヴァ川。少し見えにくいが、右の橋は夜になると真っ二つに分かれる。

 

バーガーキング。ここにもいたのかワレ。

 

ここからはピョートル大帝の小屋に行くことに。ここも高校時代から行きたいと思っていた憧れの場所。

 

ネヴァ川には何隻か船がある。空が完全にヤバイ。

 

しばらく歩き、ようやくピョートル大帝の小屋に到着。長年の夢がかなった…と思った矢先であった。

なんと、この日は閉館ですた…..なんて日だ!一番行きたかったところだったのにィ。

そして館内に入れなかった我々を嘲笑うかのように突然のスコール級の雷雨が襲い掛かった。嫌な予感、完全的中。

困った我々はピョートル大帝の小屋の屋根で雨宿りをすることに。雨は強くなる一方でひょうまで振り出す有り様。

響く雷鳴。それは小屋に入れなかった私の怒りそのものである。

 

雨降りすぎて水たまりができていた。どんだけ降んねん。

 

周辺はこの有り様である。

 

からの、二重虹。雨と雷は一時間足らずですぐに止んだ。ただの夕立だった模様。

 

そしてすぐに青空がお披露目。変な天気だったなあ。ちなみにこのUFOみたいな建物はペトロパブロフスク要塞最寄り駅のゴーリコフスカヤ駅。ホールにも見えなくはないが、もう少しデザインをどうにかできなかったのか。

 

地下鉄で市内に戻った後、少し早めの夕食。ブリヌイが美味しいと評判のロシアの有名なファーストフード店であるテレモークで。ブリヌイだけでなく、ペリメニやボルシチなどのロシア料理も提供している。値段はマクドほどではないがかなりリーズナブル。味も結構おいしい。しかし店員は相変わらずロシアンクオリティーでした。だってレシートとおつり投げて渡してきたからね。どうなってんだよまったく。

 

あっという間に暗くなってきた。このときすでに19時過ぎていたかな。

しかし、一番見たかったあの青銅の騎士像を見ていなかったので、留学生の彼女にお願いして行くことに。

 

はい来た。これが憧れの青銅の騎士像である。高校時代から夢見てきたことがまた実現したのだ。モデルは言わずもがな、ピョートル大帝である。この像はエカテリーナ二世がピョートル大帝の戴冠100周年を記念して建造されたもの。騎馬像が乗っている石には「エカテリーナ二世から皇帝ピョートルに」と刻まれている。 馬の足元をよく見ると、蛇のようなものを踏みつけているが、これは北の敵国(主にスウェーデンかな)を象徴しているとか。蛇は聖書では悪魔を象徴するともいい、それに重ね合わせたのだろう。彼にとってはその悪魔ことが北の敵国(反逆者)だったのだ。

ちなみに「青銅の騎士」という名称は、最初からつけられたものではなく、プーシキンがピョートル大帝の業績をたたえるために書いた叙事詩『青銅の騎士』が世に広まり、名付けられたとされている。この作品は、日本語にも訳されている。高校時代に一冊購入して読みふけったのが懐かしい。青銅の騎士に対する憧れはプーシキンも影響しているのかも。

 

正面から見た「青銅の騎士」。細部まで見事に作りこまれている。ピョートルらしい威厳に満ちた表情が魅力的だ。この人と同じ誕生日というのも何かの縁なのかもしれない。

 

ネヴァ川には別の船が止まっていた。

 

なぜか知らないがこの場所は撮影スポットと化していた。

ここでペテルブルグ2日目はこれにて終了。次回は最終日について書いていくぞい。

書いていると思いだしてきてまたロシアに行きたくなってきた….

ではスパコーイナイ・ノーチ!