今更ながらオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』@新国立劇場 感想

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タイトル通り、11月25日に東京の新国立劇場で公演されていた『ボリス・ゴドゥノフ』を観に行きました。

『ボリス・ゴドゥノフ』は本ブログの訪問者は大方ご存じだとは思いますが、ムソルグスキーの大作オペラでありロシア・オペラを語る上では欠かせない名作中の名作。そして何より、本作の主人公であるボリス・ゴドゥノフは16世紀末から17世紀初期のロシア史に生きた人物であり、私の研究対象の時代がドンピシャであったことから、学生時代からずっと観てみたいと思っていました。

そして、9月に運よく東京で公演があることを知り、速攻席を確保。貴重なロシア・オペラに期待に胸を膨らましてはるばる神戸から東京へ観に行きました。特に個人的に注目したのは何といっても偽ドミートリー1世こと、グリゴーリー・オトレピエフ。偽ドミートリーは本作品を語る上では外せない人物であり、個人的にはボリス・ゴドゥノフに次ぐ「第二の主人公」といっても過言ではないと思っているぐらいです。今回は日本人の若手オペラ歌手が演じられていたのでどんな偽ドミートリーを見せてくれるかが楽しみでした。

しかし、実際に鑑賞した感想としては非常に申し訳ありませんが、正直にいうと期待外れでした。何が期待外れでどう残念だったかを含め、今回は「新国ボリス」に対する個人的な感想をつらつらと綴っていきたいと思います。

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まずは良かった点としては、ウクライナ情勢で緊張が続いている中で公演を中止しなかったこと。ポーランド等が情勢を鑑みて公演を断念する中、こうして続行を決断したことは評価したいし、何よりも貴重なロシア・オペラが日本で鑑賞できる機会ができたことも個人的には非常に良かったと思います。

そして残念な点ななんといっても原作の過剰とも言える改変。ツァーリとして即位したボリス・ゴドゥノフが偽ドミートリーの登場等の周辺の出来事に翻弄され、自身の悲運を嘆きながら亡くなっていくという大まかなあらすじは概ね再現されていました。ですが、決定的に異なるのがボリスの息子で継承者であるフョードルが障がい者として聖愚者と同一に見立てたことと、フィナーレで帝位を簒奪した偽ドミートリーが吊るされたボリスの死体を刺してその血で自身の帝位に祝杯を挙げた点。

ボリス・ゴドゥノフ
ボリス。シャリーピン演じるボリス・ゴドゥノフ。
新国ボリスにはこのようなボリスは出てきませんでした。

特に、本作品で目立ったのが僭称者偽ドミートリーの極悪非道っぷり。フィナーレでは偽ドミートリーはボリスの血杯をあげたあと、獣の頭をした従者を連れて凱旋して物語は終了。帝位簒奪の野心に目覚めたこの僭称者は自身の目的達成のためにはいかなる手段を問わない、血も涙もない非道ぶりを発揮し、最終的にボリスからその地位を奪ったのです。

この僭称者の獣性にどこか既視感を覚えたのは私だけではないはず。なんと、その獣性はまさにウクライナに侵攻したロシアそのものと重なるでないですか。本作品はポーランド人であるトレリンスキが演出をしており、ポーランド側がウクライナに肩を持っていることから、ロシアの悪性をこの偽ドミートリーに投影されているのではと邪推してしまうぐらいでした。

さらにポーランド側の意図ではないかと勘繰ってしまう点がもう一つあります。それは偽ドミートリーとその妻であるマリーナ・ムニーシェク(ポーランドの大貴族イェジ・ムニーシェクの娘)との逢引シーンがカットされたこと。このシーンは後から改訂版で追加されたのですが、僭称者偽ドミートリーがマリーナに対し本性を明かしている場面があることから個人的には重要な部分だと思っていたのでこのカットは非常に残念でした。

勘のいい方はすでにお気づきかもしれませんが、実は今回の「新国ボリス」にはポーランド要素が一切排除されているのです。上記の逢引シーンにはツァーリの皇妃になろうとするマリーナの野心と偽ドミートリーをカトリックに改宗させ、ロシアのカトリック化を目論むイエズス会士のランゴーニの野望等、ポーランド側の「ゲスイ」部分がもろに描かれているのです。そして本作品ではこうしたポーランド側の都合の悪い部分は一切排除され、まるで無かったかのような扱いにされているように見えてしまいました。

この偽ドミートリーという人物が帝位の簒奪に成功したのは実はポーランド側の国王や有力貴族などの支援がバックにあることから、彼を語る上でポーランドを外すことはまず不可能であり、この過程がバッサリ切られたことは彼とポーランドとの支援関係を研究してきた私にとっては少々納得がいかないというのが正直な感想でした。

偽ドミートリー1世ことグリゴーリー・オトレピエフ
偽ドミートリー1世(右)とマリーナ・ムニーシェク(左)。
本作品にはマリーナは一切登場しませんでした。

今回の新演出のこの「新国ボリス」が史実に基づいた物語に現代の社会情勢への風刺を投影させたように見えたのは実にこのため。もはや歴史オペラを鑑賞しているというよりも、現代社会の風刺とロシア批判という政治要素の強いミュージカルを見ているような気分でした。まあ、このご時世なので情勢を完全に無視することは容易ではなかったでしょう。史実が元ネタとはいえ、政治的要素からはもう少し切り離してほしかったとは思います。

批判ばかり書いてしまいましたが、ロシア・オペラは中々見る機会がないので結果的には観に行ってよかったとは思います。

今年の記事投稿は本記事で最後となります。今年も本ブログを見に来てくださり、ありがとうございました。来年もボチボチと自分のペースで投稿していきたいと思いますので、是非よろしくお願いいたします。

それでは、よいお年をお迎えください。