後半部分に移る。
私たちは、モルチェンスキー修道院に到着し、早速中を見学させていただくことにした。

これがモルチェンスキー修道院。歴史は15世紀までに遡り、初期は聖母降誕修道院だった。前回の記事にも書いたとおり、偽ドミトリー1世がモスクワ遠征でプチーヴリを陣営地にした際に、居城にしていた場所でもある。博物館の玉座もここモルチェンスキー修道院で使用されたもの。

出入口の門。黄金色のドーム状の屋根が特徴。青色との組み合わせが綺麗。 ここからしばらく写真が続く。


庭だってこんなに広い。てか、広すぎるぐらいに広い。
こうしてみると土地は結構広くて驚いた。そして割ときれいに修復されていた。Mさん曰く「この修道院お金持ってそうだね」。

もちろんバカ広いブドウ畑がある。このときは冬だったから何も生っていないが。自給自足できるようになってんのかなあ。

教会内には壁画があったが、かなりひどく塗装がはがれていた。修復はせずそのまま残しているのだろうか。

修道院についての説明書き。これはロシア語。

黄金色の屋根って快晴の時に一番映えるよね。
ここの教会内には購買コーナーがちゃんと設置されている。イコンやカバンなどの小物類、本やノートなどが販売されていた。モルチェンスキー修道院の概要本(ロシア語)を見つけたので立ち読み。すっかり癖になってしまったのか、つい偽ドミトリー関連のページを探してしまう。当然掲載されていたので、ネフスかや大興奮。ひたすら読みまくる。そしてMさんに呆れられる(笑)結局プチーヴリに来た記念として購入した。125フリヴニャだった(約540円)。後にこの本は5月末の例会で資料として回したのである。

何もない道。

プチーヴリのバスターミナルの看板。

バスの時刻表。これ見るの大好き。

これはお土産屋さん。
気が付けばお昼が過ぎていたので、レストランを探す。しかし、中々見つからない。ケバブが食べられる簡易食堂に行ったら売り切れだし、ほかのカフェにはロクなものがない。。。さてどうしよう。マイナー都市あるあるのレストラン難民に陥ってしまう。
そこで、私があるカフェがあることを思い出し、そこに向かった。すると、

あった!
ここはカフェマクシム。いざ入ったら普通に広く、食事もできるところだった。なぜか謎のキッズルームがあった。まだ昼だというのにビール0.5lを頼み、偶然の出会いに乾杯した。このカフェにはピザやロシア料理もあったが、意外にも寿司などの日本料理もメニューにあった。まあ、あのおなじみの寿司ロールだったが….ここで色々と研究などの話をしていった。

Заводと書いているが、工場か何かだろうか。どうでも良いが「セイム」という言葉に反応してしまった(笑)

民家周辺はこの有様。道路の状態が悪すぎでしょこれ。


もう一つの教会は聖ニコライ教会。こちらは残念ながら「ニェ ラボータ」、つまり閉まっていた。

中までは見れなかった。

バスターミナル前の道路でこれはいくら何でもひどすぎでしょう……タイヤパンクするで(笑)

毎度おなじみブロック団地。見ると安心するっす。

そろそろプチーヴリとお別れするときが来た….おら離れたくない

プチーヴリの街をしっかりと目に焼き付けとく。

バスターミナル小さすぎ

一日だけだったけど楽しかった、プチーヴリ。また行くね(多分)
そしてまた、ばすはガタガタ道を通っていく。あたりはすっかり暗くなった。

スームイ到着。このときすでに19時を過ぎていた。二人でバスの時刻表を見る。チェルニゴフからノヴゴロド・セーヴェルスキー、ハリコフまで行くことができる。これを見ると急に別のところに行きたくなってしまった。本当なら、翌日にキエフに戻って一日滞在の予定だったが、迷った挙句急遽チェルニゴフに行くことにした。まだチケットの窓口は開いていたのでこの場でチケットを購入をした。そのあとに昨日行ったところと同じレストランにMさんと食事に行くことに。
昼に続いて0.5lのビールで乾杯。ちなみにMさんも前日に同じレストランで夕食を食べていたらしい。ここでも偶然の一致。すごい。
この後宿に戻ったのだが、せっかくなので記念写真を撮ってもらった。
早朝に出発ということでMさんとはここでお別れをした。Mさん、ありがとうございました。
プチーヴリの旅はこれで終わってしまった。さびしい。次はチェルニゴフ。また長い長いミニバスの旅が待っている。